「殿、利息でござる!」ネタバレ感想と考察【時代映画でキャッシュフローを学ぶ】

本記事では、
前半で、映画紹介&見どころレビュー
後半で、ネタバレ解説&徹底考察を行います。

殿、利息でござる!

2016年、中村 義洋監督によって制作された時代映画である。

原作は歴史学者磯田 道史による「穀田屋十三郎」で、

18世紀当時から残る「町人の記録」に記された内容だった。

上映時間は129分。

あらすじ

時は明和3年、年号にして1766年

当時の仙台藩の領内に位置する吉岡宿

仙台藩の宿場町には

宿場町間の物資の輸送を行う

「伝馬役」が課せられており、

伝馬役を担うのにかかる費用の捻出に

百姓たちは苦しんでいた。

一軒、また一軒と家は無くなり、人が減り、

吉岡宿崩壊の日は刻一刻と迫っていた。

 

そんな吉岡宿に住む酒屋の亭主

「黒田屋十三郎」もまた、困窮に苦しみ、

頭を悩ませる日々を続けていた。

 

そんなある日、茶師である

「菅原屋篤平治」がある提案をする。

それは「藩」に金を貸して利息を得る

ということだった…。

 

出演役者

本作の二人の主人公、

酒屋の「穀田屋十三郎」を演じるのが

「阿部サダヲ」

 

茶師の「菅原屋篤平治」を演じるのが

「瑛太」

 

酒屋の「浅野屋甚内」を演じるのが

「妻夫木聡」

 

居酒屋の女将「とき」を演じるのが

「竹内結子」

 

藩の出入司である「萱場杢」を演じるのが

「松田龍平」

 

そしてなんと本作、

仙台藩藩主の「伊達重村」を

「羽生結弦」が演じている。

 

見どころ「単純なコメディと思いきや…」

時代映画を描くに当たり、

切っては切れない関係となってくる、

「コメディ映画」としての側面。

出演役者やそのパッケージなどから

確実に「時代コメディ作品」であると

皆は考えた。

 

しかし、いざ本作を鑑賞してみると、

その予想はいい意味で裏切られることとなった。

地方における藩と民の関係、

当時、実際にあった「伝馬役」という制度の問題、

貧困による苦しみ、

それは「コメディ」の一言で

片付けられるような軽い作品ではなく、

しっかりとした内容のある作品となったのだ。

 

配信コンテンツ

「殿、利息でござる!」は今現在、

Amazonプライム、NETFLIX、U-NEXT、dTV、Hulu、等で配信されている。

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ネタバレあらすじ

時は明和3年、年号にして1766年

当時の仙台藩の領内に位置する吉岡宿

仙台藩の宿場町には

宿場町間の物資の輸送を行う

「伝馬役」が課せられており、

伝馬役を担うのにかかる費用の捻出に

百姓たちは苦しんでいた。

一軒、また一軒と家は無くなり、人が減り、

吉岡宿崩壊の日は刻一刻と迫っていた。

 

そんな吉岡宿に住む酒屋の亭主

「黒田屋十三郎」もまた、困窮に苦しみ、

頭を悩ませる日々を続けていた。

 

そんなある日、茶師である

「菅原屋篤平治」がある提案をする。

それは「藩」に金を貸して利息を得る

ということだった…。

 

「富」となるか「貧」となるかはただ一つのことで決まる。

「利息」を取る側に回るか?撮られる側に回るか?

 

と語る、知恵者の篤平治ならではの考えだったが、

ざっと計算してみると、

藩に貸す金額はおよそ一千両(現在の約三億円)にも

及ぶ計算となるのだった。

 

二人は資金を募り、出資する同志を集めるため、

数々の商売人の元へ足を運ぶ。

味噌屋の「十兵衛」、雑穀屋の「新四郎」

小物問屋の「善八」など、着々と同志を集めていくのだった。

 

しかしその程度では、まだまだ一千両には満たない。

十三郎と篤平治は、

藩の人間と直接繋がりを持つ肝煎(役人)の「遠藤幾右衛門」

そして大肝煎の「千坂仲内」まで

仲間に引き込むことに成功するのだった。

 

目標の額まであと一歩と迫った時、

なかなか出資者が集まらない中、

決め手となったのは、

酒屋と金貸しを営む「浅野屋甚内」の出資となった。

 

今まで、守銭奴などと呼ばれ、

悪い評判が多い店であったが、

今回の出資に協力的であることに一同は驚愕するのだった。

 

そして、十三郎と甚内は実の兄弟だった。

実の弟ながら、甚内を好いていなかった十三郎は、

甚内が名乗りを上げると、

鐘はそのままに、自分は話から降りると告げるのだった。




そんな中、いよいよ計画の時は訪れる。

大肝煎である仲内がに名を代表し、

吉岡宿を背負って旅立つこととなる。

藩のトップに君臨する代官と接触し、話を通すと、

藩の出入司(財務担当)である「萱場杢」にまで

話が及ぶ。

しかし、萱場杢はこれを速攻で却下する。

萱場杢も「借金は作らない」という考えを持つ

知恵者の一人だったのだった。

 

却下の知らせを聞いて落ち込む一同だったが、

衝撃の事実が発覚することとなる。

なんと「守銭奴である」と、

忌み嫌われていた浅田屋は

先代から瓶の中にお金を溜め、

伝馬を辞めるように藩に直訴しようとしていたことだった。

甚内が守銭奴であると思い続けていた十三郎は、

ショックを受けるが、仲直りをするのだった。

 

再度、藩に申し出をする吉岡宿の商人たち、

今度は浅田屋の話も伝えつつ、想いを伝えることとなる。

その結果、今より分が悪い、

「小判での一千両」でなら受け入れるとの返事を貰うのだった。

 

吉岡宿の商人たちは、一丸となり、

悪戦苦闘しながらもなんとか一千両を集めることに成功する。

小判での一千両を集めたことに驚愕しながらも、

萱場杢はこれを受け入れ、

仙台藩の藩主である「伊達 重村」は、

その想いを快く受け入れる。

 

その後60年に渡り、藩からの利息は払われ続け、

地方再生を果たす吉岡宿だった。

 

そして今現在も尚、穀田屋は残り続けている。

 

ネタバレ考察

「コメディ」という期待をいい意味で裏切る作品。

今回の作品

まずは「時代劇」であること、

そしてパッケージ、映画の雰囲気、

そして「阿部サダヲ」などの出演役者などから

確実に「コメディ時代劇」である作品であることは、

殆どの人が気がつくだろう。

 

事実、それは間違いではなく、

個性的なキャラクターが登場し

また役者も個性が強い役者が揃うが、

実際に環境してみると

「コメディ」の一言で片付けられるほど

浅い作品ではなかったのだ。

 

明和の時代、実際にあったとされる

「伝馬役」という仕事、

そしてそれに苦しめられる民、

いかにして地方再生をさせるか?

という面白く、壮大なテーマとなっていた。

 

そして、

本作には「コメディ」以外にも

あらゆる角度から深みを感じる

見方をすることができるだろう。

 

「お金」についての啓発的作品でもあった。

今回の作品、

いかにして貧困から抜け出し、

地方再生を叶えることができるか?

という筋書きが主となるが、

その中身をさらに掘り下げていくと、

今現代でも充分に通用するような

「お金」についての話だった。

 

「富」となるか「貧」となるかはただ一つのことで決まる。

「利息」を取る側に回るか?撮られる側に回るか?ということ。

 

そんな名言も飛び出すような今作、

キャッシュフローのシステムを根本的に学ぶことができるという

副産物も今作では描かれたのだ。

 

今でこそ貧富の差が縮まり、

お金の流れが作りやすい

時代が訪れているが、

明和の時代、

今よりも貧富の差が明確だった頃に、

こんなことを思いつくこと自体がすごいことであると感じた。

 

ちなみに今作、

原作は「穀田屋十三郎」という評伝作品で、

全て実話を元に制作されている。

(今現在も穀田屋は実際に存在している。)




「解説」の方式の作品だった。

今回の作品、

物語は明和の時代を生きる人々が中心となり

進行することとなるが、

違和感を感じさせず、

そして皆に意識されることなく本作に纏まりを与えた演出が、

この「解説」だろう。

 

本作は濱田 岳の語りにより進められ、

要所要所に当時の貨幣価値などの説明を加えたり、

物語の補足説明が流される。

 

今回の作品で取られたこの「物語感」によって、

鑑賞者自身を「映画の一員」として迎え入れ、

飽きさせず、

映画に引き込ませるような演出となっているのだ。

 

映画の最後、物語は終わり、

時は現代に戻る。

本作が全て「物語」であった伏線を回収するような演出であり、

「時代映画」が一番しっくりくる手法を用いた作品だったのだ。

 

二枚目も三枚目も演じる豪華役者陣。

今回の作品のパッケージ、

まず目に入るのは、でかでかと映し出される「阿部サダヲ」

彼の存在感を改めて感じてしまうような

パッケージ写真となっていたが、

本作の映画には、阿部サダヲ以外にも、

数々の実力派の俳優が出演しているのだ。

 

「山崎努」「妻夫木聡」

「瑛太」「松田龍平」「竹内結子」など、

これほどまでに豪華な役者たちが

「コメディ」を謳う作品に

出演しているのはなかなか珍しいだろう。

 

そしてそんな役者の誰もが、

「二枚目」も「三枚目」も演じることができる役者達であり、

実力を改めて認識させられるような演技をしてくれただろう。

また、今作では「藩主」の役として

フィギアスケーターの「羽生結弦」

出演しているのもかなりの驚きだった。

慣れていない演技ではあるが、

親しみを感じることができる。