「ネイバー・イン・ザ・ウインドウ」のネタバレ感想と考察【ママ友の恐怖の最上級】

  • 2021年2月2日
  • 2021年4月21日
  • 映画
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本記事は、映画「ネイバー・イン・ザ・ウインドウ」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。

鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。

ネイバー・イン・ザ・ウインドウ

2020年、メンハジ・フーダ監督によって制作された作品。

隣人とのトラブル、そしてママ友とのトラブルを描いた、サスペンス作品。

上映時間は87分。

あらすじ

舞台はアメリカ、良き夫可愛い息子に恵まれながら、明るく社交的に生活していたモーガン一家の妻、カレンは、夫の転勤をきっかけにシアトル郊外の高級住宅街へ引っ越す事となる。

近隣住民と挨拶を交わしつつ、隣の家のリサとも仲良くなっていくが、次第に奇妙な違和感をリサに覚え始めるのだった。

 

出演役者

本作の主人公カレンを演じるのが、「ジェイミー・リン・シグラー」

容姿端麗な美貌と、グラマラスなスタイルを併せ持つ女優で、有名作品では、洋画ドラマである「アグリー・ベティ」シリーズなどに出演している。

なかなかの輝きを放つ女優であるが、本作ではキャリアウーマンでありながら家庭的な妻としての立ち位置のキャラクターである。

 

夫のダンを演じるのが、「ジェフ・グスタフソン」

アメリカの洋画ドラマへのキャスティングが目立つ俳優であるが、本作では温厚な一家の大黒柱としてのキャラクターを演じきってくれた。

 

本作の災いをもたらす隣人、リンを演じるのが「ジェン・ライオン」

グラマラスで上品な女優でありながら、本作では本当に「イヤな女」演じてくれただろう。

 

また、隣人のスージーを演じるのが、「カーメル・アミット」

主人公カレンとリンと、同じグループの仲良しでありながら、本作では完全なる中立な立ち位置のキャラクターである。

本作以外では、主にアメリカのTV番組やドラマ等へ出演しているようだ。

ネタバレ感想と考察

とにかく「胸糞悪い」、完璧なまでの「ご近所トラブル」を描いた作品。

まず初めに、本作を鑑賞した人の中でも、まるで似たような体験をした人数多くいただろうと思う。

そのシリアスなタイトルと打って代わり、本作での主なテーマは「ご近所トラブル」だったのだ。

「ご近所」そして「ママ友」「引越し」など、日本でも同じような境遇で生活し、同じような体験をする奥様方もきっと多いだろう。

事実、日本のテレビ番組では擦り尽くされた問題の一つであり、今も尚消えることの無い問題として日常生活に潜んでいる。

タイトルやパッケージからもわかるように「窓」を題材とした恐怖が描かれることは容易に想像がつくが、まさかこんな形で恐怖が描かれることを想像できた人は少ないだろう。

決して「映画の中の話」ではなく、今まさにこの問題と隣り合わせにある人々の恐怖を煽り、共感を感じ、地味ではあるがとても怖い等身大のテーマで描かれた作風非常に面白い。

粋すぎる伏線の張り方に魅了される作品。

映画の題材の奥深さに加えて本作では非常に粋であり、気が付きにくい伏線の張り方されていたことに皆さんは気がついただろうか?

映画冒頭、室内の家具などのインテリアコーディネートを趣味とするカレンの姿が描かれることとなる。

彼女は黒いカーテンを取り外し、その真理に辿り着いた時に初めて「黒いカーテン」の意味がわかることとなる。

仕方なく黒いカーテンをつけ始めるカレンであったが、その時に回収される伏線が「趣味がインテリアコーディネートである」ということであった。

映画冒頭のカーテンの真実を明らかにすると同時に、彼女の趣味が謳歌できなくなること意地が悪くも粋な伏線の張り方がなされていた。

また、「行動を一つひとつ制限されていく」という点においても重要な伏線の役割を果たしていた。

映画の最初、リンに真似をされ始めたことから、まず「好きな服が着れなくなる」そして「好きなアクセサリーが付けられなくなる」その後も「仕事が上手くいかなくなる」「児童への読み聞かせができなくなる」挙句の果てには「リン家族の30メートル以内に入れなくなる」という行動制限までも出されることとなる。

そして繋がる先は「趣味のインテリアコーディネートができなくなる」

最初は人生を謳歌していたカレンであったが、物語の進行に比例するように行動を一つひとつ制限されていく描写もかなり高度な伏線の張り方でありながら「とても意地の悪い」演出ともなっていただろう。




本作最大の共感ポイント「あ〜こんなヤツいる〜」

本作の鑑賞を始め、イライラしつつも何故か見進め気がついたら最後まで観てしまうその不思議な魔力。

その力の真相こそが、一般家庭において日常生活を送る人々の「あ〜こんなヤツいる〜」という感性だろう。

ここでリンの性格の悪さを演出していた要素を挙げてみよう。

まずは「真似をする」そして「意味の無い嘘をつく」「自分を誇張して振る舞う」「何に関しても被害者の立場」言っていくだけでもキリが無いほどに彼女の特徴がわかってくるが、この一つひとつに焦点を当ててみるとどれもに感じる感想が「こんなヤツいる…」に落ち着くだろう。

本作における「共感」という快楽感性の一端を担ったキャラクターデザイン、そして演技であり、本作の監督であるフーダ監督に一番「してやられた」と感じる部分だった。

「映画」という非日常のジャンルの物語の中で急に自分の日常生活に入り込んでくる感覚こそが、本作の核となる部分であると同時に、「恐怖」の役割も担っていたのだ。皆さんも胸に手を当てて考えてみてほしい。

周りに居ないだろうか?こんなヤツ…。

さすがのラスト、こうでなければいたたまれない!

物語を見進めていく中で、リンに対する憎悪が段々と膨れ上がっていった鑑賞者は自分だけではないであろう。

妖艶でグラマラスでありながら飄々とカレンを苦しめ、幸せな家庭を闇のどん底に突き落としていく様は本当に胸糞悪いとも感じてしまった。

そんな鑑賞者たちの万人の恨みを買ったリンであるが、最後の裁判のシーンでは見事に「当たり屋」としての証言立証されることとなる。

誰もが思う。「さすがにこうでなくてはいたたまれない」

本作の映画が映画らしく幕を閉じるために、本作の「結」の脚本には胸を撫で下ろした。

本当の「恐怖」は何処に潜んでいたのか?

リンの犯行が暴かれる過程の中で、それと同時に主犯格のリン以外の人物は全てがリンに振り回されていたという事実も見えてくる。

リンの夫はリンを溺愛するあまり周りが見えなくなり、リンの娘は抱え続けていた罪悪感を解き放ち、隣人のスージーも証言はしなかったが、リンの犯行を認める形となった。

「ご近所トラブル」としての映画である本作であるが、その側面からは「リンという人間の人間性」を垣間見るホラー作品である見方もできるだろう。

本作のタイトルである「ネイバー・イン・ザ・ウインドウ」直訳すると「窓の中の隣人」「窓」はあくまでも「リン」の恐怖を掻き立てるのに利用された道具であり、「窓」という媒体もまたリンという存在により恐怖が増す。

本作のパッケージがホラー作品を彷彿とさせているのが何よりの証拠である。

そして物語のラスト、次なる犠牲者がリンの家の隣へ越してくる。

同じ惨劇が繰り返されるのだろうか…。