本記事は、映画「ショーシャンクの空に」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
ショーシャンクの空に
1994年、フランク・ダラボン監督により制作されたアメリカ映画。
スティーブン・キングの小説「刑務所のリタ・ヘイワース」が原作となる。
冤罪により刑務所に入ってしまった銀行員を描く作品。
上映時間は143分。
あらすじ
1947年、妻とその愛人を殺害したとして、一人の男が「ショーシャンク刑務所」に入所してきた。
彼の名前は「アンドリュー・デュフレーン」
銀行の副頭取として優秀な銀行マンだった彼は、刑務所の中でも浮いた存在だった。
しかし彼は冤罪だった。
アンドリューの過激な刑務所内での生活が始まる…。
出演役者
今作の主人公「アンドリュー・デュフレーン」を演じるのが「ティム・ロビンス」
本作への主演としてのキャスティングによって、一気にハリウッドスターのスターダムに上り詰めた俳優。
実は過去にあの「トップガン」にも出演していたことを知る人は少ないだろう。
アンディの友人であり、ムショ内の調達屋として動く「レッド」を演じるのが「モーガン・フリーマン」
洋画を鑑賞していれば誰もが一度は見ることとなる、黒人俳優として世界のトップで活躍する俳優。
本作以外にも「ミリオンダラーベイビー」などに出演し、アカデミー助演女優賞を獲得している。
後に新入りとして、刑務所に入ってくるコソ泥「トミー」を演じるのが、「ギル・ベローズ」
本作が俳優業一発目の作品となった俳優で、これを皮切りに数々の映画作品へと出演することとなる。
ここ近年ではコメディ作品やB級作品への出演が多いようだ。
刑務所内の書物の管理を任される「ブルックス」を演じるのが「ジェームズ・ホイットモア」
1950年代に活躍したベテラン俳優で、本作公開当時の1995年には完全に老人だった。
本作出演後、数作品に出演し、2009年に息を引き取る。
配信コンテンツ
「ショーシャンクの空に」は今現在、Amazonプライム、U-NEXT、dTV、等で配信されている。
ネタバレあらすじ
- ネタバレあらすじを読む
- 1947年、妻とその愛人を殺害したとして、一人の男が「ショーシャンク刑務所」に入所してきた。
彼の名前は「アンドリュー・デュフレーン」
銀行の副頭取として優秀な銀行マンだった彼は、刑務所の中でも浮いた存在だった。
しかし彼は冤罪だった。
アンドリューの過激な刑務所内での生活が始まる…。
刑務所の「新入り」が壮絶なイジメを受ける中、アンディは調達屋である「レッド」に接触する。
その理由は「ロックハンマー」を調達してもらうためだった。
壁を掘れば600年はかかると豪語するレッドに対し、「趣味の鉱石採集を復活するためだ」としたたかに語るアンディだった。
とある日、仕事中に刑務主任である「ハドリー」が、「遺産相続」について悩んでいるという話が耳に入る。
アンディは囚人でありながらも、銀行員時代の知恵を生かしハドリーに問題解決を定義し、その仕事の条件として、囚人仲間にビールを奢らせるのだった。
アンディはホモの囚人に犯され続けながらも、屈することはなかった。
いつの日か刑務官全員の確定申告や、税金の相談、図書係としての仕事や、刑務所長の秘書など、ショーシャンク刑務所に無くてはならない存在となっていたのだった。
所長の傍らでは「闇金」や「横領」などの黒い仕事を担当していたが、囚人としても所長や刑務官からの信頼が厚く、彼の独房は本や鉱石、ポスターで埋め尽くされ、それが許されていた。
アンディが入所してから10年が経過するころ、一人の新人が入ってきた。
彼の名前は「トミー」と言い、窃盗で入所してきた若者だった。
そしてトミーはアンディの事件の真犯人と、別の刑務所で会ったことがあると語る。
アンディはトミーの証言から、冤罪であることを主張し、所長に詰め寄るが、アンディを失うことを恐れた所長は、トミーを殺害してしまう。
後日、アンディはレッドに対し、自殺をほのめかすメッセージを残す。
不安を抱えるレッドであったが、翌日、独房にはアンディの姿は無かった。
アンディは刑務所を「脱獄」したのだった。
10年もの間、地道にロックハンマーで掘り続け、壁に穴を開けたアンディ、長年張られたポスターの裏に、その穴はあった。
刑務所の外に出たアンディは、大雨の中、天を見上げ自由を噛みしめる。
所長の闇金を抱え、悪事をマスコミに届け出ると、アンディは第二の人生を送り始めるのだった。
レッドが40年の服役を終えて外に出ると、行く当てもなく佇んでしまう。
アンディのメッセージを思い出したレッドは、言われた通りの場所の木の下を掘る。
そこにはアンディからの手紙で、仕事を手伝ってほしいとの内容だった。
アンディの元に向かうレッド、二人は刑務所の外で再び再会し、抱擁を交わす。
ネタバレ考察
映画の世界の登竜門的作品、まずはこれを観ろ!
今作の原作となるのは、スティーブン・キングが描く小説「刑務所のリタ・ヘイワース」であるが、彼の描く小説に関して言えば、映画化すればまず外れることの無い原作であると言えるだろう。
「スタンドバイミー」「グリーンマイル」その他色々な作品を映画化させてきた実力の持ち主であるが、そんな彼の作品の中でも、今作は最も有名となった映画であると言っても過言ではないだろう。
映画を愛する人々に、「好きな映画を一本だけ挙げるなら?」と、問いかければ、今作のタイトルを口にする人も少なくないはずだ。
刑務所内で描かれるアンディの葛藤、そしてアンディを取り巻く人物たちとの人間物語、映画ファンでなくても一度は視聴してほしい作品である。
あらゆるジャンルに刺さる作品だった。
世界的な名画として知られる今作、ぼくらが言うまでもなく素晴らしい作品として認知されている。
その素晴らしさの仕掛けはいくつもあるが、大きなものとして、どのジャンルにも刺さっている映画だったことがわかる。
まずは映画によくある、勧善懲悪の構図。今回だとショーシャンク刑務所所長やアンディをレイプしていた囚人、彼らからの見事な逆転劇は映画としてとても爽快感溢れる描写に仕上がっていた。
そして「暗さ」。
刑務所モノの映画として切れない宿命となる、映画の暗い雰囲気、これを上手く描いたのが今作でもあった。
目を覆いたくなるような暴力シーンや、アンディの絶望、クセのある登場人物、今作の光を切り取るために必要不可欠な要素であり、この暗が土台となり、今作の華やかさは生まれた。
そして今作における最も重要な「希望」。
長きにわかる上映時間の中で、いつでもこの言葉は宙を舞っていた。
アンディの抱える葛藤や絶望を乗り越え、刑務所の外で大雨の天を仰ぐシーンは映画史上、歴史に残るような希望の描写と言っても過言ではないだろう。
そんな明るさや暗さ、逆転劇、そんな多数のジャンルに精通するヒューマンドラマに仕上がっている作品だったのだ。
今作のカギとなるアンディの聡明さ
本作の主人公、元銀行員のアンディはどんな状況においても冷静且つ、聡明だった。
荒くれ者たちの中で、自らの地位を確立し、生き抜く姿には誰もが痺れ、憧れるようなキャラクターとなった。
何よりも驚いたのは、映画の冒頭でレッドにロックハンマーの調達を依頼する瞬間から、彼の芯が変わっていないことだった。
10年以上も穴を掘り続け、最後には脱獄してしまう。諦めないことや努力、積み重ねの大切さすらも、今作での副産物としてのテーマとなった。
敷かれたレールをぶっ壊す脚本の面白さ
本作の話を途中まで鑑賞し、レールに沿って予想を立てるならば、今作の物語は確実に仮釈放を待つ作品だっただろう。
しかし、そのレールをぶっ壊してしまうようなシーンが今作にはあったのだ。
それはブルックスの死である。
刑務所を出たブルックスは行き場を失い、最後には自殺してしまう。
これまでの仮釈放を受けた受刑者全てがそうであるかのような描写からは、牢獄から出れてたとしても絶望しか残らないような受け取り方ができるだろう。
このシーンにより本作の予想する結末は、大きく変わっていくこととなる。
老いた老体での仮釈放という絶望から逃れるためにアンディは脱走した。
どう足掻いても逃れることのできないと思われた絶望から抜け出したのである。
そして彼は、同じレールを歩くであろうレッドの前に轍を残した。ブルックスのような人生を送らせないために。
鑑賞者を飽きさせない仕掛け
同じ刑務所内という空間で過ごす今作、140分にものぼる長さであるが、鑑賞者を飽きさせない工夫が随所にしてある作品だった。
アンディがどのようにして、荒くれ者達を味方につけていくか、そして他の囚人、刑務官や所長との関係性、新入りの加入、そして刑務所内での時間の過ごし方。彼の身の回りはいつも何かの事件で囲まれていた。
2時間以上の映画において、グダるシーンを作らせなかった、本作の脚本や演出家には盛大な拍手を送りたい。
そしてその些細な工夫や事件は、伏線としても機能する作品となったのだ。
本作における伏線の張り方。
映画の序盤、ロックハンマーなどを調達させては、確実に脱獄を匂わす伏線として機能する。
そんなハンマーによる伏線を瞬間でぶち折る根性が今作にはあったのだ。
そんなハンマー以外でも、些細な言動がきっかけとなる伏線はいくつも巡らされていた。
鉱石採集の趣味、部屋に貼ってあるポスター、刑務所長への奉仕、全てが計算であったかのような脚本は、伏線が伏線であると思わせないような上手い仕掛けが施されていたのだ。
またポスター裏の穴であるが、小説版では「刑務所のリタ・ヘイワース」という、物語のカギともなるポスターの女優がタイトルとなっている。
映画のラスト「アレン・グリーンを偲んで」の謎とは!?
本作の最後、「アレン・グリーンを偲んで」という文字が画面に現れ、その詳細は語られないまま終わる。
これに、「本作品が実話なのではないか?」という予想をする人も多いようだが、この「アレン・グリーン」とは本作品の監督フランク・ダラボンの友人であり、映画製作中に亡くなってしまった人物である。
本作の物語とは関連性の無い描写となっていたが、ダラボン監督の人間性が垣間見える描写にもなっていた。