「1922」ネタバレ感想と考察【ネズミに全てを奪われた男の物語】

  • 2021年8月1日
  • 2021年8月8日
  • 映画
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本記事は、映画「1922」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。

鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。

1922

2017年、ザック・ヒルディッチ監督によって製作されたスリラー作品。

広大な農家を営む家族とその主である男の物語で、スティーヴン・キングの同名小説が原作となる。

上映時間は102分。

 

あらすじ

舞台は1922年のアメリカ、ネブラスカ州、広大な農家を営むジェームズ家は一人息子のヘンリー、妻であるアルレット、そして主のウィルフレッドの一家三人で仲睦まじく暮らしていた。

息子のヘンリーも大きく育ったある日、「田舎暮らし」に不満を感じていた妻のアルレットは、土地を売って都会であるオマハで暮らしたいと提案する。

しかし、故郷と農業を愛していたウィルフレッドとヘンリーはこれに猛反対、アルレットと対立関係となってしまうのだった。

元々アルレットが農場の利権を持っていたこともあり、ウィルレッドの意思に反して土地の売却が行われてしまうこととなった矢先、ウィルレッドとヘンリーは、アルレットを殺害し、土地を守るのだった。

アルレットの遺体を使わなくなった井戸に捨て、なんとか殺害の隠ぺいに成功するが、新たな問題が次々と発生していく…。

出演役者

本作の主人公、ウィルレッドを演じるのが「トーマス・ジェーン

アメリカ、メリーランド州出身の俳優であり、数々のスリラー作品やアクション作品に出演する俳優である。

本作では高いプライドを保ちながらも焦燥感を感じさせる演技を見せてくれた。

 

妻であるアルレットを演じるのが「モリー・パーカー

カナダ出身の女優であり、人情映画や恋愛映画へのキャスティングが多く、映画作品よりもアメリカのTVドラマの出演も多い。

本作のスリラー要素のベースキャラクターとして、その不敵な佇まいが印象的であった。

 

一人息子のヘンリーを演じるのが「ディラン・シュミット」

アメリカの子役であると思われるが、他の有名映画作品への出演は無いようだ。

 

ネタバレ感想と考察

この雰囲気に耐えられるか!?「ジワジワ系スリラー作品」

映画界におけるスリラー作品は数多くあるが、種類に分けると二種類に分類されるだろう。

一つが一瞬の衝撃に特化した「ビックリ系スリラー」

そしてもう一つが雰囲気造りに重点をおいた「ジワジワ系スリラー作品」である。

本映画をこのどちらかに振り分けるのであれば、間違いなく後者の作品となっている。

映画序盤では仲睦まじい幸せな家庭が描かれていたにも関わらず、物語が進むにつれジワジワと墜落の一途を辿るジェームズ家。

「今の状況」をより良くしようと奔走する主人公ウィルレッドであるが、そのすべてが裏目に働き、「罪からは逃れられないこと」をテーマとした作風は、「ジワジワ系スリラー」の大道をいく面白さだった。

本映画の原作となるのは2010年にスティーヴン・キングが描いた同名小説が原作となる。

スティーヴン・キングが描くホラー作品はいつでも「ジワジワ系」のホラー作品であり、「シャイニング」「IT」「ミスト」など、映画の世界観や雰囲気に拘った作品が多い。

例外なく本作も、その陰鬱な雰囲気から「スティーヴン・キングらしい」映画作品に仕上がっていただろう。

ミスト【ネタバレありなし徹底考察】




作中に登場する「ネズミ」の謎…。

本映画ではシーンのありとあらゆる場面においてネズミが繁殖し、見た目と音の両方から鑑賞者を攻めたてているが、ネズミの存在が一体どのような演出をしていたのだろうか?

本映画の最重要テーマを紐解いてみると、妻アルレットを殺害したことによる「罪の意識」が大きなテーマとして掲げられ、「罪からは逃れられない」という考えを意識の中で持ち続けることがこの映画の伝えたいメッセージとなっていた。

妻の殺害に関して、社会には無事に隠し通し、刑事的責任から逃れたウィルレッドとヘンリーであるが、ネズミをきっかけとした数々の事件に巻き込まれていく。

そして、その「罪の意識」はウィルレッド、そしてヘンリーの中にも、確実に眠っている。

ネズミの存在は、主人公ウィルレッドが妻殺害に対して罪を感じた時のみ現れ、何かしらの不幸をもたらしていくのだ。

時折、アルレットの遺体とおびただしい数のネズミが現れるシーンもあるが、これはウィルレッド自身の罪の意識により作り出される幻影のネズミと考えていいだろう。

妻を殺害し、井戸に投げ捨てたその瞬間から、過去を日記に記す「現在の自分」に至るまで、リアルと幻影のネズミが描き続けられることから、罪の意識から逃れられない主人公の姿が本作一番の見どころだろう。

物語の最後、ネズミに蝕まれた家族の遺体に殺されるようなシーンで幕を閉じるが、これが妻による「リアルの呪い」なのか、ウィルレッドの作り上げる「幻影」なのか、名言されることはなく、鑑賞者に委ねられている。

映画の時系列から汲み取る壮大な作品テーマ。

本作品をただのスリラー映画だと思っていては大間違いな節があり、それは本作のタイトルが「1992」であることに隠されている。

物語の時系列は、妻殺害から現在に至るまでの経緯を日記に認めるウィルレッドの過去の物語であるが、この独白を行っていたのが1930年で、これは映画冒頭のシーンで明らかになっている。

 

そして問題の1922年ウィルレッドとヘンリーが妻を殺害した年であるが、リアルの年表でもアメリカでは「工業」が栄えるための「大恐慌」が起こった年でもある。

それは映画内でも無慈悲にも描かれ、主人公のジェームズ家だけではなく、農家で成功したとされている親友も結局家を手放してしまっている。

そんな「農家」が「工業」に蝕まれる時代背景を、そのままネズミの姿に投影したような演出はとても見事なものとなっていた。

結果、妻のアルレッドも、ヘンリーも失ったウィルレッドは皮肉にも「愚か者が集う街」と言っていたオマハの工場で働くこととなるが、それも工場に蔓延るネズミへのトラウマによって退職へと追い込まれる。

まさに「因果応報」のスリラー作品そのものの設定をアメリカの歴史に落とし込んだ映画となっていたわけだ。

また余談ではあるが、家畜の牛が食べられてしまったりなど、ネズミによる実害もアメリカでは多かったようで、あながち「フィクション」ではないのが恐ろしい。