【キング・オブ・鬱映画】映画「ダンサーインザダーク」のネタバレあらすじと徹底考察

本記事では、
前半で、映画紹介&見どころレビュー
後半で、ネタバレ解説&徹底考察を行います。

「ダンサーインザダーク」

2000年、ラース・フォン・トリアー監督により作られたデンマークの映画。

上映時間は140分。

三部作の映画となり、

「奇跡の海」「イディオッツ」に次ぐ三部作目となる。

あらすじ

舞台はアメリカのとある町

チェコから移民してきた「セルマ」が主人公。

セルマは貧乏ながらも息子の「ジーン」

幸せな家庭を築いていたが、

先天性の目の病気で徐々に視力を失いつつある体だった。

視力の低下と戦いながらも工場で働き続けるセルマ。

目の病気の遺伝により、

このままではジーンもいつかは視力を失ってしまう中、

手術の費用をセルマは一生懸命貯める…

出演役者

主演はアイスランドの歌手「BJÖRK(ビョーク)」で、

 

ビョーク演じる母親の「セルマ」

 

息子の「ジーン(ヴラディカ・コスティック)」

見どころ①「アーティスト、ビョークの演技が冴える!」

この映画、ものすごく暗い。

まさにインザダークの名前が相応しい作品ではあるが、

時折「ミュージカル」が劇中で展開される。

「なぜミュージカル?」

そんな疑問も投げかけたくなる物語の脚本であるが、

なんと、今回の主演であるビョーク

世界的にも人気の歌手であるのだ。

その影響力は日本でも健在で、

日本最大級の野外音楽フェス

「FUJI ROCK FESTIVAL.17」では、

一番大きなステージでライブをするほどの人気があり、

日本人アーティストである「YUKI」が、

ビョークに絶大な影響を受けているほどの

大物ミュージシャンである。

閑話休題。

目の病気を持ち、大した給料も貰えず、

なかなかに苦しい生活であるが、

ミュージカルシーンでとても楽しそうに歌って踊る、

ビョーク扮するセルマの歌唱力が

とても引き立つ作品となっている。

見どころ②「前代未聞、衝撃のラスト」

そして、賛否両論ありインパクト大のラストシーン

名高い名作でもある。

世の中には

「衝撃のラスト」との見出しが出る作品がしばしばあるが、

この「ダンサーインザダーク」ほどに

「衝撃のラスト」を感じる作品を今までに観たことが無い。

暗い映画の雰囲気の中、

彼女は「楽しそうに歌って踊る」

こんなに救いが無い人生なのに、

こんなに楽しそうに歌って踊るセルマ。

 

貧乏ながらの幸せを噛み締める序盤が一変…

そこから不幸への階段を段々と

踏み進めるストーリー構成は、

観る人全てを引き込み、

視聴者は行き場のない怒りとやるせなさを覚えるだろう。

見どころ③「リアリティのある撮影技術」

そして、手持ちカメラが主体となるカメラワークや、

映像の時間を飛ばし、

繋ぎ合わせるジャンプカットが多様された編集も注目してほしい。

これも生々しいリアルな感覚を覚える一因となっている。

 

同情という表現が正解かと言われると疑問ではあるが、

モヤモヤする感情を「映画鑑賞」として

楽しんでみるのもアリ。

幸せな映画に疲れた時は是非観てみてはいかがだろうか?

配信コンテンツ

そんな「ダンサーインザダーク」は今現在、
Amazonプライム、NETFLIX、dTV、U-NEXT、等で視聴できる。




※ここからネタバレあらすじ

ネタバレあらすじを読む
チェコからの移民であるセルマ

息子ジーンと2人暮らしをしながらの工場での労働、

そして趣味であるミュージカルの稽古に汗を流すことは、

貧乏でありながらも幸せなものだった。

 

だが、セルマは先天性の病気で

徐々に視力が失われつつあり

今年中には失明する運命にあった。

ジーンもまた、彼女からの遺伝により

手術をしなければいずれ失明してしまうため、

必死で手術費用を貯めていた。

 

そんなセルマの唯一の趣味となる

ミュージカルを演じ、

よく空想にふけていたが、

セルマは視力の悪化ミュージカル空想による

仕事上のミスが重なり、

ついに工場をクビになってしまう。

 

その矢先、ジーンの手術費用として貯めていたへそくりを、

友人の警察官ビルに盗まれてしまう。

セルマはビルに金を返すよう迫り、

もみ合っているうちに拳銃が暴発、

ビルは死んでしまった。

セルマは殺人犯として逮捕され、

裁判にかけられ、死刑宣告を受ける。




このまま何も語らなければ死刑となってしまうが、

セルマは一切真実を口にしない。

友人の計らいで、弁護士も来るが、

ジーンの手術費用を弁護費用として払うことが条件とわかると、

断腸の思いで拒否をする。

 

そして死刑執行日、方法は絞首刑。

死への恐怖から足がすくみ、

絞首台までの107歩を歌いながらなんとか歩き切る。

ジーンの名前を叫び、死の恐怖を女性看守に訴える。

女性看守はセルマの恐怖を避けるため、

顔にかぶせるはずの黒い布を例外的に外す。

死刑の見届けをしていたキャシーは周囲を振り切り、

死刑台にいるセルマにジーンのメガネを渡す。

セルマはジーンがもうメガネが必要なくなり、

手術に成功したことを知る。

安心したセルマは落ち着き、

笑顔になりながら「最後から二番目の歌」を歌ったが、

歌っている途中に死刑は執行され、

絞首台からぶら下がるセルマをバックにエンドロールが流れる。

 

ネタバレ徹底考察

セルマはなぜ真実を語らなかったのか?

死刑が確定してから執行までの間、

セルマは一切の真実を語らない。

セルマが真実を語らなかった理由は

「自分よりもジーンが大事だったから」であり、

ジーンのためならビルを殺すことさえいとわない

という強い意思表示であると考える。

 

セルマは裁判中であっても一貫して

お金の使い道については語らない。

 

これは、何かの不備でジーンが

手術を受けることができなくなったら…

という不安からくるものであると推測できるだろう。

安心感から歌い始めたセルマはジーンの回復を知り、

どのような気持ちだったのだろうか?

 

なぜ、病気のことや、お金のことを相談しなかったのか?

セルマはこれまでの人生、

一切人に頼ることなく生きてきた。

女手一つで子供を育て上げた彼女の

プライドの高さも原因の一つであろう。

 

そして何よりも、

彼女の唯一の楽しみである「ミュージカル」

辛いことや悲しいことがあった時、

いつも彼女はこれに

「逃げている」ようにみえてしまうのだ。

現実から目を背けるための材料として、

ミュージカルを使っていたのかもしれない。




ミュージカルが流れるシーン

今作の中でミュージカルが流れるシーンは全部で6つ。

・工場での仕事中
・クビになった後歩く線路
・ビルを殺した直後
・裁判中
・絞首台までの107歩
・絞首台の上(アカペラ)

全てに共通する状況として、

「その時セルマが置かれた状況が辛いものであった」

というものがあるのが、

この描写を観てもセルマの空想は

「現実からの逃避」であったと言える描写である。

手持ちカメラによる「ドキュメント風」の撮り方

今作の監督、

ラース・フォン・トリアー監督は、

過去にも数々のディストピア映画を

世に放ってきた奇才であるが、

今作では、映画のほとんどを

手持ちカメラによる撮影を行った。

 

この描写により、

「映画感」があまり感じられないカットのシーンが多くなり、

現実的描写が増えたように感じる。




今作の映画にはBGMが無かった。

手持ちカメラでの独特なカメラワークの中、

BGMは一切なく自然の音や生活音だけで

物語が進むのも、よりリアル感を引き立てる。

音楽が流れるシーンが

「ミュージカルシーン」だけであるのが、

そのミュージカルシーンを

より一層盛り上げる要因となっているだろう。

しかしその「ミュージカルシーン」は、

セルマが辛いときにしか起こらないのだ。

絞首台の上が「舞台」だった。

セルマはミュージカルが趣味で、

失明前は稽古に参加し、

主役に抜擢されるほどの才能を持っていた。

 

そんな中視力も失い、主役から外され、

挙句の果てに刑務所に入ってしまう。

セルマの夢は叶わないと思われたが、

最後、絞首台でミュージカルを披露する。

最後の「舞台」は主役として立つことができたと考えるべきなのか…?

ラース・フォン・トリアー監督の奇才ぶりがうかがえる。