「ビバリウム」ネタバレ感想と考察【住宅街に閉じ込められる!?新感覚シチュエーションスリラー】

  • 2023年6月2日
  • 映画
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本記事は、映画「ビバリウム」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。

鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。

「ビバリウム」

2019年、ロルカン・フィネガン監督によって制作されたアイルランド・デンマーク・ベルギーの合作映画。

奇妙な住宅街に閉じ込められたカップルの物語。

上映時間は98分。

あらすじ

舞台はとある町。

保育士として務めるジェマは、庭師のトムと結婚し、家を探している途中の幸せ絶頂の新婚夫婦だった。

お金の都合もあり、新しく家を買う相談を日々続けていたところ、とある宅地の内見を行うことになる。

不動産マンのマーティンの案内で、その宅地へ向かうが、どの家も全く同じ作りの個性の無い住宅群だった…。

出演役者

本作の主人公ジェマを演じるのが「イモージェン・プーツ」

庭師の夫、トムを演じるのが「ジェシー・アイゼンバーグ」

配信コンテンツ

「ビバリウム」は今現在、Hulu、等で配信されている。

Hulu




ネタバレ感想と考察

真の恐怖は「普通」と「日常」にあった!?

これまでに描かれなかったホラー映画の形だったこの作品、「日常」という恐怖に焦点を当て、家の形、色、内装、道路、果ては空の雲までもが「雲らしい雲」であるこの世界観が何よりも特徴的だろう。

最初は当たり前のように見え、映画が進むにつれて、どんどんとその違和感が解放されていくことになる…。

これは今までのホラーでは描かれることがないホラーの形だった。

キモとなるのはニコニコ笑顔の不動産マン「マーティン」

彼はまるでAIロボットのような造られた笑顔で、完璧すぎて違和感を感じるほどの接客対応を見せる。

人間では肯定的な意見が多いとされる「日常」、「普通」、そして「平和」。

コレを鑑賞した皆さんも、普段はあまり意識したことがないかと思う。

しかし、それはあくまでも「いつまでもは続かない」とわかっているからこそ耐えることができる。

「終わりの見えないこの日常は、いつまで続くのだろうか?」

そう思った時、今作の本当のホラー映画としての一面が垣間見えるのだ…。

結局「マーティン」は何者?何が目的?

どことなくモヤッとした終わりを見せる本作であるが、とりあえずマーティンと自分たちに預けられる「息子」は「人間ではないこと」は確かだろう。

それは違和感を感じる声、挙動、そして解読不能な映像や文字、そして人間とは思えないメタモルフォーゼから察しがつくだろう。

それでは、彼らは何が目的だったのか?

彼らが「生物」である以上、目的は恐らく「種の繁栄」だろう。

そして、その「育ての親」として今回ジェマとトムが利用された形にあった。

映画冒頭、雛鳥がエサを与えられ死んでいく描写もあることから、これまでも人間を利用してここまで生存してきた生命体と考えていい。

これは動物の生き方の一つとして「この生命体の結論」であり、その生命体が「人間とはこういうものだ」をこじつけた世界観こそがあの集合住宅となったのだろう。

さらに言うならば、これは「マイホームを夢見る一般人の人生」を皮肉ったアンチテーゼのようにも感じられた。

果たして、彼らの種の繁栄は成功していたのか??




やっていることは人間と同じ!?

前項で「種の反映が目的」と考察した筆者であるが、その根拠は物語のラストにある。

成人した「息子」が、冒頭の不動産のデスクにて、老衰?したマーティンと入れ替わり、また業務を続けていく。

この物語ではマーティンのような生命体は2人しか登場していないが、他にも別の形で居るのだろうとも推測できる。

それはジェマが裏の世界で、他の人間の悲劇も目の当たりにするためだ。

もしくは、その人間たちもマーティンの前任者に、ジェマ達と同じ窓口で罠にかかってしまったのだろうか?

そこは鑑賞者の考察に委ねられている…。

このマーティンと息子の入れ替わりであるが、これには「無限ループ」という恐怖も潜んでいる。

不動産マンとして客を寄せ、育てさせ、成り代わる。

こうしてこの生命体は存続してきたのだろう。

実はこれ、「人間もやっていることは同じ」なのではないだろうか?と筆者は考えた。

人間も「繁栄」を願ってはいるが、その先に目的は存在しない。

彼らもやっていることは人間と同じ「繁栄」と「存続」、その方法が違うだけなのだ…。

なぜ自分で育てない?

それではなぜ、生命体の育成を人間に任せるのだろうか?

冒頭でも描写されるように、これは親鳥と雛の方式をリンクさせた演出だろう。

現にカッコウをはじめ、ホトトギス、ツツドリ、ジュウイチなどにも「他鳥を騙して子を育てさせる」習性がある。

実はこの人間に育てさせる行為、この生命体からしたら2つの意味を持つことになる。




①寿命が短いので育てる暇がない。

「息子」は赤ちゃんに始まり、98日で小学生ほどの大きさになり、数ヶ月で青年となる。

そしてその頃には不動産マンのマーティンは老衰している描写がある。

育児に携わるほど寿命が長くないことが、一つの原因であることは間違いない。

 

②「人間の教養」を教えてもらう。

そして恐らく言葉も学ぶこととなる。

実は冒頭のマーティンは、笑顔は爽やかだが、あまり流暢には喋っていないようにも思えるのだ。

もしかしたらこれは…「言葉のバリエーションが少なかった」からなのでは?

「決められた言葉以外、覚えていなかったからなのでは?」

作品の中盤、「息子」が抱えていた本には、何やら人間らしい図と、難解な文字列が記されている。

あれは「人間の説明書」だったのではないだろうか?

謎が謎を呼ぶ作風ではあるが、あまり明確にしないことが美学であるタイプの映画だろう。

まるで海外版「世にも奇妙な物語」を見ているかのような世界観、筆者は嫌いじゃない。