「死刑にいたる病」ネタバレ感想と考察【サイコパス殺人鬼に魅入られた青年】

  • 2023年6月12日
  • 2023年6月13日
  • 映画
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本記事は、映画「死刑にいたる病」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。

鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。

「死刑にいたる病」

2022年、白石和彌監督によって制作された作品。

一人のサイコパス殺人鬼と面会をする青年の物語。

上映時間は129分。

あらすじ

舞台は日本、栃木でベーカリー店を営む榛村24人の高校生を拷問殺人したとして逮捕された。

かつてベーカリー店の常連だった筧井は、戸惑いながらも面会に訪れるが、衝撃的な告白をされる。

それは「一件だけ自分の犯行でないものがある」という内容だった…。

出演役者

本作の主人公、筧井を演じるのが「岡田健史」

 

殺人鬼、榛村を演じるのが「阿部サダヲ」

 

配信コンテンツ

「死刑にいたる病」は今現在、Amazonプライム、Netflix、U-NEXT、等で配信されている。

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ネタバレ感想と考察

バイオレンスを極める白石監督の本格サイコサスペンス。

2013年の「凶悪」2016年「日本で一番悪い奴ら」などを手がけた白石和彌監督であるが、思えば彼がこんなダークなニュアンスのサイコサスペンス作品を描くのはあまりにストレートすぎる。

血しぶきド直球彼が描くこの作品は、目を覆いたくなるようなシーンも多いものとなっていた。

見どころはなんと言っても面会室での阿部サダヲの怪演に尽きる。

優しい笑顔で励まし、的確なアドバイスをくれるキャラクターでありながら、その表情のまま拷問していく様子…。

まさに大道を行く「サイコパスキャラ」となっていた。

結果としては、24人全員が榛村の手によって殺されていて、筧井は榛村に弄ばれる…というのがこの物語の本筋だ。

まさに「阿部サダヲに依存している」映画作品と言ってもいいだろう。

そして彼のサイコパスキャラを際立たせる一番の要因がある。

皆さんは気がついただろうか?

彼は映画の2時間の間、一度も苦痛な表情を見せていないのだ…。

一番の謎…タイトルの意味とは?

本作を考察するにあたって避けては通れないのがこのタイトル「死刑にいたる病」だろう。

まずこの言葉には、元ネタとなる著書が存在する。

これは19世紀のデンマークの哲学者「セーレン・キュルケゴール」の名著「死に至る病」からの引用であることは間違いない。

映画の序盤、大学の講義のシーンでこの著書についての講義が行われているシーンもあったからだ。

この本で語られているのは「死に至る病とは、絶望である」というもので、副題として「教化と覚醒のためのキリスト教的、心理学的論述」とも記されている。

新約聖書の一文で始まるこの本であるが、内容としては「キリスト教を信仰すること」を目的として作られた書物で、信じるものが無い状態を「絶望」として考え、それを「死に至る病」として書き出しているのだ。

この内容をそのまま本作品に投影してみよう。




作品の核となるテーマ「迷い」と「選択」について。

まず思い浮かぶのが「榛村を信用できない筧井」の姿だ。

彼は「本当に榛村は最後の事件を起こしていないのか?」や「本当に自分の父親なのか?」などの点で、いくつもの疑念を抱いている。

その迷いは結果として筧井自身を苦しめ、殺人未遂へと駆り立てることになる。

そして面会するかを決められなかった「金沢」という男性の存在だ。

彼は昔に榛村にそそのかされ「弟との刺し合い」をさせられたトラウマを持っていた。

そして今回もそんな迷いの中「根津」を指指し、殺人をしていないにも関わらず、終始苦悩することとなる。

そんな「迷い」こそが、この作品の核となるテーマだ。

思えば、筧井の母親である襟子も「優柔不断」を公言しており、息子である筧井に決断を求めるシーンがいくつもある。

更には筧井は、大学のサークル仲間とつるむ灯里に対しても「いつまでもそんな奴らといるのかよ?」と選択を迫る。

本作品はあらゆる箇所において、こんな「迷い」や「選択」の連続で構成されているのだ。

そしてその全員が「死にいたる病」の感染者であった…。

著書「死に至る病」を書いたセーレン・キュルケゴールは、趣味として「珈琲」が大好きだったようだ。

そしてその飲み方は、山盛り(角砂糖約30個分とも言われる)の砂糖に珈琲をかけて溶かすというものらしいが、なんと映画冒頭で、榛村も角砂糖の入ったカップに紅茶を注ぐシーンがあるのだ。

更には、セーレンはお気に入りのカップを50個ほど所有しており、そのうち1つを秘書に選ばせて、それを選んだ妥当な哲学的理由を述べさせた…との記述もある。

あらゆる場面において「選択」を迫る榛村も、こんなセーレンを意識してキャラクティングされているのだろう…。

ラストは結局…どういうことなの?

物語の最後、灯里の手を見て「爪、綺麗だね…」と声をかける筧井。

それに対して「剥がしたくなる?」と答える灯里。

衝撃的な終わり方となるが、これは一体どういうことなのだろうか?

これは地元が一緒だった灯里自身も「ベーカリー店の常連」であり、榛村と知り合いだったことを意味する。

そして灯里は、榛村に陶酔していたようにも取れるのだ。

彼女自身は榛村を「選択」し、セーレンの言うことろの「絶望」からは脱却したのだろうか?

そしてこの後、筧井を殺すのだろうか?

その謎は深まるばかりの終わり方となっていた…。