「負け犬の美学」ネタバレ感想と考察【中年ボクサー奮闘記】

本記事では、
前半で、映画紹介&見どころレビュー
後半で、ネタバレ解説&徹底考察を行います。

負け犬の美学

2018年、サミュエル・ジュイ監督によって制作されたフランス映画。

洋題は「Sparring(スパーリング)」

引退目前の中年ボクサーの物語である。

上映時間は95分。

あらすじ

舞台はフランス、

この地に一人の中年ボクサーが住んでいた。

彼の名前は「スティーブ」

 

妻であるマリオン

娘である「オロール」、そしてまだ小さな長男にも恵まれ、

仲のいい、幸せな生活を送っていたが、

家計が苦しいことから共働きをし、

スティーブはボクシング以外でも、厨房で働くのだった。

そんなスティーブも、

ついにプロボクサーとしての寿命を迎えてしまうこととなる。

そんな矢先、彼の元に舞い込んできた仕事は、

欧州チャンピオンボクサーの「スパーリングパートナー」だった…。

 

出演役者

本作の主人公「スティーブ」を演じるのが

マチュー・カソヴィッツ

 

妻の「マリオン」を演じるのが

オリヴィア・メリラティ

 

娘の「オロール」を演じるビリー・ブレイン

 

欧州のチャンプボクサーである「タレク」を演じるのが

ソレイマヌ・ムバイエ

ちなみに彼は本物の、

ボクシング元世界チャンピオンである。

 

見どころ「スパーリングにスポットライトを当てた作品」

本作の映画「ボクシング映画」であるが、

なんと試合をするシーンがあまり登場しない。

そう、本作は「スパーリング」に焦点を当てた映画なのだ。

 

「勝利すること」を映画の面白さとして見出すことは無く、

全ては「結果」ではなく「過程」を楽しむ、

斬新な作風の映画となった。

 

洋題は「Sparring(スパーリング)」であるが、

邦題で付けられたタイトルは「負け犬の美学」だった。

そんなタイトルを回収するように、

ボクシング映画において、

勝利以外にも、

映画のテーマを見出すことができる作風こそが本作の見どころだろう。

 

配信コンテンツ

「負け犬の美学」は今現在、

Amazonプライム、等で配信されている。

Amazonプライム

ネタバレあらすじ

舞台はフランス、

この地に一人の中年ボクサーが住んでいた。

彼の名前は「スティーブ」

 

妻であるマリオン

娘である「オロール」、そしてまだ小さな長男にも恵まれ、

仲のいい、幸せな生活を送っていた。

しかし家庭内では、家計が苦しいことから共働きをし、

スティーブはボクシング以外でも、厨房で働くのだった。

そんなスティーブも、

ついにプロボクサーとしての寿命を迎えてしまうこととなる。

 

自分の稼ぎが無くなってしまうことを危惧したスティーブは、

世界チャンピオンを取るためスパーリング相手を募集していた

欧州チャンピオンである「タレク」

必死でアピールする。

 

これまでの戦歴を聞かれたスティーブは

正直に「49戦中13勝3分け33敗」であることを伝えると、

門前払いを受けてしまうが、

ボクシング経歴とその熱意が通じ、

「スパーリングパートナー」として採用される。

家族にこのことを話すと、喜びの裏で、

「世界チャンピオンにボコボコにされること」

心配するのだった。

 

最初のスパーリングの日、

家族の予言は的中してしまい、

1ラウンドも持つことなく崩れ落ちるスティーブ、

マネージャーに「もう来なくていい」などの

「戦力外通告」を受けるが、

それでもタレク本人に直談判し、

使ってもらうのだった。




スティーブはある日、ピアノを習う娘のために、

稼いだお金でピアノをプレゼントする。

買い物においても「タレクのスパーリングパートナー」として

一般の人の中でもちょっとした有名人となっていた。

 

一方、タレクの元では、

タイトル戦に向けて「公開スパーリング」が企画され、

これを観に行くことを強く望む、娘のオロールだった。

 

最初は拒否していたスティーブだったが、

しぶしぶこれを承諾する。

当日、意気揚々とスパーリングを見に来るオロールだったが、

観衆を沸かすため、スティーブに対してナメた試合を展開するタレクと、

ヤジに耐えながら必死に立ち向かうスティーブの姿

ショックを受けてしまう。

 

スパーリング後、

スパーリングの態度のことを誤ったタレクは、

そのお詫びにと、タイトル戦の「前哨戦」のオファーを

スティーブにかける。

これを快諾し、二人は握手を交わすのだった。

 

その前哨戦こそが、スティーブの「引退試合」となったため、

オロールに「プレゼント」として、

試合を見に来ることを提案するが、

スパーリングのような父を見たくなかったオロールは

試合を見に来ることは無かった。

 

試合当日、オロールの代わりに妻のマリオンが見に来るが、

試合は劣勢となる。

ラウンドも最後まで進んだ時、

コーチに「自分のやりたいボクシングをしろ」と声を掛けられる。

視界の片隅にマリオンを捕らえたスティーブは決意するのだった。

 

最終ラウンド、スティーブのボクシングは

まるでタレクのような戦法となる。

最後に形成は逆転するが、決着はつかず、

勝敗の行方は判定となるのだった。

 

試合が終わり、スティーブは帰宅する。

真っ先にオロールの元に向かったスティーブは、

オロールから「結果はどうだった?」と聞かれ、

笑顔の表情で答えるのだった。

 

後日、スティーブは、

オロールのピアノの演奏会に向かう。

拙くも一生懸命にピアノを奏でるオロールの音色を聞きながら

ホールを後にするスティーブだった。

 

ネタバレ考察

フランス映画の上品さ

今作は「ボクシング」を題材とした作品には

珍しい「フランス映画」である。

通常描かれるボクシング映画において、

必ずあると言ってもいい

ショッキングな表現だが、

優雅でノスタルジーを感じる作風が

売りとされるフランス映画において、

これは確実に合わないテーマの選出だった。

 

しかし、蓋を開けてみると今作の映画はフランス映画の良さを

生かしつつ描かれた、生粋の「ボクシング映画」となっていた。

主人公がいわゆる「負け組」の人間であることを上手く使い、

フランス映画独特の空気感を引き出すことに成功したのだ。

 

どこかオシャレで、

ゆったりと物語が進む映画の雰囲気や、

穏やかな登場キャラクター達などが、

上手くボクシングという題材にハマる作品となった。

 

「負け」を観せる新しい作品

主人公のスティーブ、40代にしてボクサーであり、

そんなキャラクター設定を裏切らないような

「ダメ男感」を彷彿とさせることとなる。

 

物語の序盤、

ボクシングの戦績はもちろんのこと、

スーパーの計りをちょろまかしたり、

娘のピアノのレッスン代も滞納し、

極めつけに喫煙者でもある。

 

前半から、スティーブのダメさ加減を見せつけるような

物語が展開することになるが、

鑑賞を続けるうちに段々と

かっこよく見えてくる現象が起きるのだ。

 

家族のために、そして自分のために、

ひたむきにボクシングに打ち込む姿、

そして大の中年男性がプライドをかなぐり捨て、懸命に挑む姿には、

誰しもが感化される人間となるだろう。

 

物語の終盤、彼の「強さ」を問われた時に、

「打たれ強いこと」が自分の強さだと語るスティーブには

とてつもない説得力を感じるだろう。




フランスの役者たちの独特の空気感。

今作のフランス映画、

もちろんのこと、

役者はフランス系の役者がキャスティングされることになるが、

物語を文字で見てみると、

主人公のキャスティングは非常に難しいものだろう。

 

役者としての見た目を持ち合わせ、

ボクサーとしても受け取れ

弱々しくもどこか芯の通った中年男性

とても繊細で難しい役であり、

キャスティングや演技を謝れば、

一瞬で作品自体が台無しになってしまうような役柄だっただろう。

 

今作の主人公スティーブを演じたマチューは、

この件において、

完璧と言えるほどにマッチしたキャスティングだった。

彼の持つ雰囲気や哀愁感、

声のトーン、そして芯の強さまでもが、

遺憾無く作品に上手く影響したであることがよくわかるのだ。

 

また、スティーブを取り巻く人間たちも、

フランス映画らしい、穏やかで独特の雰囲気を纏う役者が多かったが、

特に娘のオロールを演じたビリー・ブレイン

その妖精のような容姿を含めて、

最高の娘を演じてくれただろう。

今作の映画を撮るにあたって、

200人近くのオーディション

最終候補3人から決めようとしていた

サミュエル監督だったが、

ビリーと偶然出会い、

キャスティングに至ったという逸話がある。

 

ちなみに本作のチャンピオン、タレクを演じた

ソレイマヌ・ムバイエは、

リアルのボクシングの元世界チャンピオンであり、

「元 WBA世界スーパーライト級王者」

「元 WBA世界ウェルター級暫定王者」

などのタイトルを持っていた。

 

映画のラストについて。

物語が一通り終わった後、

エンドロールにはこれまでに存在した、

リアルな「負け組」のボクサー達が映し出される。

決していいとは言えないような戦績と共に、

写真が流れるシーンであるが、

これには「諦めなかったこと」への、

敬意を評すような演出であると考える。

 

世の中、勝つ者がいれば、

必ず負ける者も居る。

そんな彼らをステージに押し上げた

今作の作品の最後を飾るに相応しい

エンドロールの演出だっただろう。