「アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち」ネタバレ感想と考察【予測不可能な大どんでん返し】

本記事は、映画「アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち」の

ネタバレを含んだ、感想と考察記事です。

鑑賞したことが無い方は、

注意して読み進めてください。

アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち

2014年、ブラッド・アンダーソン監督によって制作された

サスペンス映画。

原作となるのは、19世紀に生きた作家、

エドガー・アラン・ポー」によって書かれた作品、

タール博士とフェザー教授の療法」だった。

一人の精神病医師がとある精神病院で勤務する物語。

上映時間は109分。

 

あらすじ

舞台は1899年のイギリス、

オックスフォード大学では

「精神疾患」を患った患者についての講義が行われていた。

男性からの接触を受けると

ヒステリーを起こす女性を招いての講義となったのだった。

 

数年後、大学を卒業し、

山奥に隔離された病院

「ストーンハースト精神病院」の門を一人の男が叩く。

彼の名前は「エドワード・ニューゲート」

彼は精神病の医師として独り立ちするため、

「キャリア」を求めていた。

先進的な医療が売りのストーンハースト病院であったが、

院内で行われていた治療は、

とても「非人道的」なものであった…

出演役者

本作の主人公「エドワード・ニューゲート」を演じるのが

ジム・スタージェス

 

本作のヒロイン「イライザ・グレイヴス」を演じるのが

ケイト・ベッキンセイル

 

当病院の院長「サイラス・ラム医師」を演じるのが

サー・ベン・キングズレー

ネタバレあらすじ

ネタバレあらすじを読む
舞台は1899年のイギリス、オックスフォード大学では

「精神疾患」を患った患者についての講義が行われていた。

男性からの接触を受けるとヒステリーを起こす

女性を招いての講義となったのだった。

 

数年後、大学を卒業し、

山奥に隔離された病院

「ストーンハースト精神病院」の門を一人の男が叩く。

彼の名前は「エドワード・ニューゲート」

彼は精神病の医師として独り立ちするため、

「キャリア」を求めていた。

 

先進的な医療が売りのストーンハースト病院であったが、

院内で行われていた治療は、

とても「非人道的」なものであった…

 

病院の院長である「サイラス・ラム」は、

そんなエドワードを病院に迎え入れつつ、

精神病についての価値観や、考え方を埋め込もうとするのだった。

 

そんな病院で出会う一人の女性、

「イライザ・グレーヴス」

良家の出で、ピアノがとても上手なその女性は、

過去に受けたDVが原因で、病気を患うも、

とても「精神病患者」とは思えない立ち振る舞いだった。

 

そんな彼女を筆頭に、

院内の患者の殆どが「良家の出」であることを知り、

患者の家族たちが厄介払いのように

病院に送り込んでくることを知るのだった。

 

エドワードの歓迎パーティが行われる際、

患者を交えての盛大な会食パーティとなったが、

病院の警備担当である「ミッキー・フィン」によって、

エドワードの酒に毒を盛られることとなる。

一口飲もうとした瞬間、

イライザはそれを阻止するのだった。

 

非人道的ながらも、何とかラム院長の考えに

ついていこうとするエドワードだったが、

とある日、謎の地下牢獄を見つけることとなる。

その地下の人間たちは、

みんな「正常」な人間だったのだった。

 

地下に隔離された人間たちは、

皆が病院の従業員であり、

その中には「本物の院長」である

「ソルト医師」も居るのだった。




薬漬けにされ投獄されたと語るソルト医師は

「ラム院長こそ、本物の精神疾患である」と豪語し、

病院を乗っ取られた経緯を語るのだった。

 

隔離された従業員達を連れ出し、

イライザと共に逃げることを考えたエドワードは、

この事実を知っていたイライザにそのことを話す。

「君はここに居るべき人間ではない」と説得を試みるも、

イライザはこれを拒否するのだった。

 

後日、ソルト元院長から、

ラム院長が患者だった頃のカルテがあることを聞かされる。

院長室にて、こっそりと資料に目を通すエドワードであったが、

タイミング悪くラム院長とミッキー・フィンが部屋に戻ってくる。

 

隠れているのがバレると思った矢先、

「投獄者の脱走」によって、

事なきを得る。

脱走したのは「元従業員」の二名、

健闘虚しく脱出に失敗し、遺体で運ばれてくるのだった。

 

ラム院長が「偽物」であると知りながらも、

潜伏し、過ごすエドワードだったが、

ある日、ソルト元院長の頭に電気を流すという

「実験」をやらされるエドワード、

その実験は「成功」してしまい、

院長としての記憶を全て消されてしまうのだった。

 

自らが院長として再誕した夜、

ラム院長は盛大なパーティを催す。

騒ぎに乗じて、

皆を脱出させる計画を立てたエドワードは、

ミッキー・フィンとの格闘を制し、

酒に毒を盛るのだった。

まさに飲もうとした瞬間、

間に合ったミッキー・フィンの叫びによって、

エドワードの策略はバレてしまうこととなる。

激怒したラム院長と患者たちは、

エドワードの頭に電気を流すショーを始めるのだった。

 

拘束されたエドワードはイライザに向けて助けを乞う。

そして、ストーンハースト病院に訪れた本当の目的も…。

 

彼はオックスフォード時代、

「とある講義」に参加した。

その講義でのヒステリー患者こそが

イライザ本人だったのだった。

 

「エドワードが自分のために病院を訪れた」

知ったイライザの心は揺れるが、

それでも拘束を解くことはなかった。

 

まさに「電気を流すショー」が開催されようとした瞬間、

エドワードはラム院長にラムのカルテに

挟んであった写真を見せつける。

ラムは自身の持つトラウマを思い出して、

部屋を去ってしまうのだった。

 

代わりにショーを行おうとしたミッキー・フィンだったが、

ついに思い立ったイライザの協力により脱出に成功し、

地下に監禁された従業員達を救出する。

エドワードとイライザはキスを交わすが、

エドワードはその後、

「今まで隠していたこと」を、

イライザに伝える…。

 

3週間後、元の姿を取り戻した病院に、

一人の医師一人の男訪れる。

一人はイライザの夫であり、

完治したイライザを引取りに来たと告げる。

もう一人の医師はなんと

「エドワード・ニューゲート」という医師だった。

しかし、二人はもう病院には居なかった。

 

研修医として病院に来たエドワードは、

なんと「医師」ではなく「患者」だったことを語る

本物のエドワード。

患者であるエドワードは、

医師であるエドワードの持ち物を盗み、

身分を偽造していた。

オックスフォードでの精神疾患の講義の時、

イライザの次に控えていた精神患者こそが、

エドワードの正体であり、

「治療不可能」な

札付きの精神患者であったことが告げられる。

 

場所は変わりイタリア。

そこには偽だったエドワードとイライザの姿があった。

二人はピアノを弾き、ダンスを踊る。

ネタバレ考察

鑑賞者を裏切らない伏線とどんでん返し

今作は一つの病院の中で、

「精神疾患」をテーマに描かれた作品であるが、

そんな「精神病患者」を上手く利用したような

仕掛けが多数組み込まれた、

個性的な登場キャラクターがとても多かった。

 

見た目では判断できない病気である「精神病」

これを「伏線」として利用し、

主人公と共に、

鑑賞者達はひたすらに騙され続けるだろう。

 

1から100までが伏線の作品。

典型的な「伏線回収モノ」である今作だが、

今作ほどに怒涛の伏線張りが

行われた映画はそう多くはないだろう。

見た目ではわからない「精神疾患」

上手く利用した伏線であり、

その量はとても膨大なものとなった。

冒頭の講義、

各登場人物のキャラクター性、

懐中時計の写真、

など、1〜100まで鑑賞者を欺くような

仕掛けとなっていた。

 

そして本作の真骨頂、

「二重伏線」

エドワードは「講義」に参加していた

研修医であるという伏線を回収しつつも、

実際は次に待つ「患者」であったことがわかる。

 

一度回収したと思わせた伏線を別の角度から

再度回収するテクニックが本作では本当に光っていたのだ。

 

精神疾患に「正義」を問う。

物語の大筋として、

主人公であるエドワードが完全なる

「正義」として見える映画だったことは

間違いでは無い上で、

精神疾患において治療法の正解、

不正解について問うようなシーンもある作品だっただろう。

看護師として働くミリーは他でもない、

「ラム院長」の治療によって喋れるようになったと語り、

それまでの「ソルト院長」も残虐的な治療

施していた描写も映されるのが本作の面白いところだった。

今作の「悪役」として位置づけられた

「ラム院長」も、フタを開けてみれば「精神病患者」であり、

その壮絶なトラウマには思わず同情の念も

湧き上がってきてしまうようなストーリーであった。

 

さらに、結果として見れば、

二人は仲睦まじく過ごしていたが、

主人公であるニューゲートも「札付きの精神病患者」であり、

一歩間違えれば、

犯罪を犯していた可能性も大いにあるような想像がつく。

 

何が正解で何が不正解か?

何が正義で何が悪なのか?

別の角度からこの作品を鑑賞してみると、

主人公が正義と確定つけることは難しい作品なのかもしれない。




「19世紀のヨーロッパ」という世界観

本作の原作である小説

「タール博士とフェザー教授の療法」においても、

本作の舞台はイギリス

時代は1899年という

細かい年号設定もなされている作品であるが、

そんな「19世紀ヨーロッパ」

オシャレな世界観や雰囲気作りにおいて、

「映画」で描かれることが

とてもいい味を出していたと考えるべきであろう。

 

原作小説自体が描かれたのが1845年と、

なんと作品の舞台よりも

50年も後であったことが何よりの驚きだったのだ。

 

登場キャラクターたちの衣装、

そして小物、家具など、

今でこそ光るような時代背景と

世界観が織り成され、

本作は出来上がっている。

 

しかし、一件陰鬱なイメージの強い19世紀ヨーロッパでも、

「映画ならでは」の仕掛けにより、

一般的にも楽しめるような仕掛けがなされていた。

 

物語の世界観を見事に踏襲した作風

「精神病院」「隔離病棟」

こんなワードが組み込まれる本作の舞台の病院であるが、

タイトルで感じるダークなイメージ、

その全てが払拭されるような

サスペンス映画に仕上がっていた印象があった。

 

この時代、19世紀のヨーロッパでは、

「シャーロック・ホームズ」など、

陰鬱な雰囲気を匂わすような物語が多数あるが、

そんなイメージが先行し、

本作がダークな映画であると考えた鑑賞者は多かっただろう。

 

しかし、本作では、

「サスペンス要素」に加え

「恋愛要素」、そして、

軽めではあるが「アクション要素」など、

現代の作品における「明るさ」

感じることができる世界観を見事に作り上げている。

オシャレでありながらも、

どこか面白さのある患者など

独特のキャラクターも登場し、

いい意味で「万人が楽しむことが出来る作品」として、

世に放たれたのだった。