「サラブレッド」ネタバレあらすじ考察【二人の女子が父親を殺す】

本記事は、映画「サラブレッド」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。

鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。

サラブレッド

2017年、コリー・フィンリー監督によって制作された作品。

豪邸に住むエリート女学生幼馴染である精神疾患を抱える女の子を描いた、群青サスペンス作品。

あの「クイーンズ・ギャビット」の主演を務めるアニャ・テイラー=ジョイが主人公である。

上映時間は92分。

あらすじ

舞台はアメリカ、コネティカット州、とある町に住む二人高校生の女の子、「リリー」「アマンダ」が居た。

二人は幼なじみであったが、久しぶりの再会を果たすこととなる。

リリーの家庭はとても裕福であり、名門校に通い、一流企業のインターンシップにも参加し、何不自由無い生活を送っていたが、中学時代に血の繋がった父親が亡くなったことをきっかけに心を閉ざし、義理の父親を快く思わない日常を過ごしていた。

一方のアマンダは、高い知性を持っているものの、精神的問題と、個性的な性格を持っていたために、外部の人間と接することなく、高校にも通わない生活を送っているのだった。

再会した二人は、かつてのように遊ぶようになるが、リリーは「父親を殺す方法」アマンダと模索するようになる…。

出演役者

本作の二人の主人公、エリート女学生の「リリー」を演じるのがアニャ・テイラー=ジョイ

Netflix配信の「クイーンズ・ギャンビット」での印象が強い。

 

もう一人の主人公「アマンダ」を演じるのがオリヴィア・クック

 

ヤクの売人である「ティム」を演じるアントン・イェルチン

アントンは2016年、今作の「サラブレット」を遺作に、事故によって死亡している。

映画の最後にはアントン・イェルチンを偲んで」と表記される。

見どころ「猟奇的作品を上品なタッチで描く」

本作の映画のジャンル、調べてみると「スリラー作品」というジャンルである記述が多いが、鑑賞してみると、これまでに描かれた「スリラー作品」とは全く異なる演出の作品となった。

ホラー映画でなら確実にあるであろう独特の空気感、そして陰鬱な雰囲気それが違った色で表現されているのである。

ビックリするような描写に重きを置かず、瞬間的な怖さよりも、じわじわと忍び寄る恐怖が目立つ作品だっただろう。

他の作品では描かれることの無い独特の「間」や、舞台となる屋敷の雰囲気など、オシャレに仕上げたスリラー作品となっただろう。

配信コンテンツ

「サラブレッド」は今現在、Amazonプライム、U-NEXT、dTV、等で配信されている。

Amazonプライム

U-NEXT

ネタバレあらすじ

ネタバレあらすじを読む
本作は5つのチャプターに分かれて、物語が進行することとなる。

第一章

舞台はアメリカ、コネティカット州、とある町に住む二人高校生の女の子、「リリー」「アマンダ」が居た。二人は幼なじみであったが、久しぶりの再会を果たすこととなる。

リリーの家庭はとても裕福であり、名門校に通い、一流企業のインターンシップにも参加し、何不自由無い生活を送っていたが、中学時代に血の繋がった父親が亡くなったことをきっかけに心を閉ざし、義理の父親を快く思わない日常を過ごしていた。

一方のアマンダは、高い知性を持っているものの、「情」を全く感じないという精神的問題個性的な性格を持っていたために、外部の人間と接することなく、高校にも通わない生活を送っているのだった。

再会した二人は、かつてのように遊ぶようになる。二人で映画を鑑賞し、楽しんでいたが、二階で父のマークが趣味とする、「トレーニングマシンの駆動音」が聞こえ始める。

そしてリリーは、アマンダに自分の本音を打ち明ける。それは「父親を殺したい」と思っていることだった。

第二章

リリーしか友達が居なかったアマンダとは対照的に、インターンシップなどに積極的に取り組むリリーは、友達がたくさんいた。

とあるパーティーに参加した際、ヤクの売人である「ティム」と知り合うが、リリーは相手にすることはなかった。

将来進む大学を模索していたリリーだったが、父の一声で、問題の多い子が通うとされる「ブルックモア学園」に決定づけられる。

最早、リリーに悩む余地など無かった。マークの愛用する自転車の車輪の金具を緩める仕掛けをするリリーだった。

ケガをしても、死ぬことは無かったマークを見て「父親を殺す方法」を本格的に意識するリリーは、「馬を殺した経験」を持つアマンダに、殺害の様子を聞いてみる。骨を折って動けなくし、首の肉を切るというなかなか残忍な方法であったが、あっけからんとした態度で、顔色一つ変えることなく、淡々と述べるアマンダ、「やるのであれば、完璧なアリバイが必要」と、冷静な考えも述べるのだった。




第三章

「計画」を練った二人は、ヤクの売人であるティムにコンタクトを取る。

リリーの自宅の豪邸に招待し、「父親を殺すこと」を伝え、協力することを要請するのだった。

その計画とは、リリーは母親とスパに向かい、アマンダはセミナーに参加し、二人の「アリバイ」が証明されている状況で、「殺し」をティムにやってもらうことだった。

最初は拒否するティムだったが、大金の報酬と、ヤクの取引の録音データの脅しによって、嫌々、条件を飲むのだった。

計画の日を迎え、予定通り、リリーは母親とスパを楽しむが、その会場にマークが訪れる。

ティムに裏切られ、計画は失敗したこと意味するのだった。

ティムに教えておいた拳銃の隠し場所からも拳銃は消えてしまっていた。

やさぐれたリリーは「タバコ」を吸い始める。

マークに煙草を取り上げられ、嫌味を効かせた罵倒を浴びさせられるのだった。

第四章

リリーとアマンダは映画を鑑賞していた。

たわいもない会話をしていたが、計画の失敗の話になると会話を拒否するリリーだった。

二階で例の如く、マークのトレーニングマシンの駆動音が聞こえ始める。

駆動音だけが響く中、沈黙の先に「アマンダには情が無いこと」を意味深に確認し、「生きる価値を感じているか?」と質問するリリー。

「らしくない」リリーの言動に疑問を呈しながらも、飲み物を口にしようとしたアマンダに対して、リリーは「飲むのをやめて」とお願いする。

そしてリリーは告白する。アマンダの飲み物に「睡眠薬」を仕込んだこと、リリーが自身の手でマークを殺し、包丁を眠ったアマンダに握らせ、「犯人」として仕立て上げる計画を立てていたこと。

アマンダのことを想い踏みとどまり、謝るリリーだったが、アマンダは何も言わず、飲み物を一気飲みする。

「なぜ飲んだの?」と問いかけるリリーだったが、「生きる価値が無いから」と答えたアマンダは、深い眠りに落ちていく。

リリーは暫く考えた後、決心したように包丁を握りしめ、二階へと向かう。

映画の音声トレーニングマシンの駆動音が響く中、駆動音だけが消え、鈍い音が鳴る。

一階に降りてきたリリーは、血まみれとなっていた。

リリーはまだ眠るアマンダの腕や体に血を擦り付ける。

立ち去ろうとした瞬間、アマンダが無邪気な寝息を立て始める。

泣き崩れたリリーは、眠るアマンダの手を取り、腕の中で泣き続けるのだった。

後日、大学の面接に向かう途中、街中で偶然ティムと再会するリリー。

マークが亡くなった弔いの言葉を放つティムに対し、リリーは「あの夜は来なくてよかった」と話し、精神病院に収容されたアマンダから手紙が届いたことを伝える。

手紙の内容

ここはとても居心地がいい、
毎日、セラピストが空白の数時間について質問をしてくる。
毎日薬を処方されて、半日以上眠り、
口を開けば馬の鳴き声が出てくる。
私は死にかけのハネムーナー。

施設のアマンダは部屋に、リリーとの幼き頃の乗馬の写真を貼り、それを見て微笑む。

ティムに「手紙の内容は?」と聞かれるが、「読まずに捨てた」と答えるリリーだった。

ネタバレ感想と考察

違ったジャンルの「サイコパス感」

通常の映画の場合、「サイコパス」という立ち回りのキャラクター性と言えば、「殺しを楽しむ」「グロテスク」など、直接的表現を演じるキャラクターが多いだろう。

しかし今作の二人。「殺人」が起きる作品である以上、サイコパス要素が組み込まれた作品であったが、そのベクトルが通常のサイコパスとは異なるものだった。

物語の中で、二人は「殺すこと」当たり前のように話していた。

そして未成年の女の子二人が「殺し方」について、まるで恋愛話のように喋る要素サイコパスを感じたのだ。

「アマンダ」には直接的なサイコパス感感じられるキャラクター性であり、通常の映画でも登場するような役柄であったが、一方のリリーは、間接的なサイコパス感感じさせるキャラクターだった。

「どこからどう見ても、殺人なんて犯さない」

そんなギャップを上手く利用したキャラクターだっただろう。

一言で表すならば「狂っていない狂気」である。

独特な「間」の取り方が使われる作品

本作における登場人物、主要となる登場人物は4人であり、リリーとアマンダ、ティムとマイクという、映画の中ではかなり少ない部類に入るであろう登場人物たちだった。

中でもリリーとアマンダの会話劇によって物語の多くは進行するが、二人の会話のテンポや、会話の無い、独特な「間」の取り方が、特殊な作品となっただろう。

物語のオシャレさ、そして陰鬱さ反比例する二種類の映画の雰囲気であるが、このどちらもがこの「間」によって、増幅されている印象を持ったのだ。

アメリカ映画でありながら、どこかスローテンポなフランス映画のような作風であり、そんな作風こそが本作の面白いところでもあるのだ。

物語の最後で描かれる父親の殺害シーン、「殺害の現場」を見せることなく定点カメラからのズームで描かれる事となるが、本作における「間」の取り方を象徴的に見せてきた一番のシーンだろう。

そして、そのシーンにおいて殺害の実行を伝えるために用いられた手段は「音」だった。




「音」の力を感じる作品

今作が「スリラー作品」として評価される所以、それは間違えようもなく、その陰鬱な雰囲気独特な「間」にあるわけだが、そんな雰囲気や世界観を作り上げるのに「音」がとても大きな働きを見せた作品だった。

屋敷内の物音でもなく、しっかりした音楽でもなく、流されるのは、BGMだと気が付かないレベル「ドラムロール」リリーが屋敷内を移動したりするシーンにこんな「BGM」が挿入され、今作の陰鬱さを増幅させる働きをしているのだ。

また、今回の物語の被害者にあたる義理の父親の「マーク」が使う、トレーニング器具の動作音などの「日常的な音」に関しても、雰囲気を作る道具として利用されたのだった。

そしてその器具の動作音は、エンドロールの終わりの方にも流れているのだ…。

チャプターで分ける物語の手法。

本作は全部で4章に渡るチャプター構成描かれる作品である。

物語の「起承転結」を上手く纏められる手法であると共に、この構成により物語の世界観を作り上げる要因にもなっているのだ。

今作の物語では、序盤の段階で、リリーによる父親への執念が描かれることとなるが、段落的に物語を進行させることによってじわじわと物語を「父親の殺害」に向かわせ、鑑賞者たちの心を逆撫でるような効果を発揮している。

この手の「チャプター分け」された作品は「鬱映画」の手法として数多く多様される構成でもあり、ランスフォートリアー監督の「ドッグヴィル」タランティーノ監督の「ヘイトフル・エイト」などでも使われている手法である。