本記事は、映画「空(カラ)の味」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
空(カラ)の味
2017年、塚田万理奈監督によって制作された作品。
「摂食障害」を抱えた一人の女子高生の物語。
上映時間は135分。
あらすじ
舞台は現代の日本、ここに一人の女子高生「聡子」が住んでいた。
家族にも恵まれ、友達にも恵まれ、金銭的にも何不自由の無い生活をしていた彼女であったが、友達や家族にも話せない悩みがあった。
それは「過食嘔吐」をしていることだった…。
出演役者
本作の主人公「聡子」を演じるのが、「堀春菜」
聡子の母親である「慶子」を演じるのが、「南久松真奈」
聡子が出会う女性「マキ」を演じるのが「林田沙希絵」
配信コンテンツ
「空(カラ)の味」は今現在、Amazonプライム、等で配信されている。
ネタバレあらすじ
- ネタバレあらすじを読む
- 舞台は現代の日本、ここに一人の女子高生「聡子」が住んでいた。家族にも恵まれ、友達にも恵まれ、金銭的にも何不自由の無い生活をしていた彼女であったが、友達や家族にも話せない悩みがあった。それは「過食嘔吐」を繰り返していることだった…。
夕食などでは、ご飯は少ししか食べなかったり、友人から勧められたポッキーを躊躇するほどの様子を見せていた聡子だったが、夜な夜なお菓子を異常なほど平らげは吐く行為を繰り返すのだった。
深夜に一人でファミリーレストランに向かったり、コンビニで菓子パンを大量購入し、家族に見つからないように食べる毎日を送っていた。
ある日、家族で食卓を囲んだ際、いつも通りに「吐きに」トイレに向かう聡子。
トイレから戻ってくると、吐いたことを感づかれ、心配されたが、動揺しながらも、これに反発する聡子だった。
自身の生涯を克服するために、聡子は友達の家に居候させてもらうこととなる。
最初は我慢した栄勝を送れていたが、次第に欲求は膨らみ、ついには台所のお菓子やインスタント食品を勝手に平らげてしまう。スーパーに行き、同じ製品を買い揃えておくのだった。
布団の中でも、隠れてお菓子を食べる行為を繰り返し、財布の中身もとうとう空になり、挙句、友人宅の金銭にまで手を手を付けてしまいそうになるのだった。
自分で自分が怖くなった聡子は、家に帰る決断をする。
病院に行くことを決意するが、「鬱」に関する本を読んでいた母親に苛立ち、強く当たってしまうのだった。
病院に赴いた際、「マキ」という一人の女性と出会う。
マキは明るくも、どこか危なげで、自分のことばかりを話す性格を持っていた。
マキにのみ、自分の本当の症状を伝えることができた聡子は、それを機にマキと頻繁に遊ぶようになる。
浸りでショッピングやカフェなどに出かけては、会話を楽しみ、また、聡子自身の症状を受け入れてくれるのもマキだけだった。
マキの、聡子に対する依存が激しくなってきたことを感じた聡子は、ある日、マキとの食事中に無理やり帰る決断をするが、これをマキは笑顔で送り出してくれるのだった。
聡子の症状は次第に回復していき、母親とも、二人で出かける関係にまで修復されていく。
マキのことを心配し、連絡を送り続ける聡子だったが、一切返事が返ってくることは無いのだった。
一方、連絡を貰ったマキは、聡子からの連絡を確認するも、浴槽でリストカットをしているのだった。
マキは、河原で鼻歌を歌いながら、一人歩いていく。
そして工事中のマンホールの中に落ちてしまう。
一方聡子は、渋谷の街中で、マキに似た人物を見つける。その人物を追う聡子だったが、見失ってしまう。
一人、都会のビル群を見上げるのだった。
ネタバレ感想と考察
見た目ではわからない心の病を描いた作品
本作の主人公、聡子が持つ病は「摂食障害」であるが、映画を一通り見てみると「摂食障害」だけにスポットライトを当てた作品ではなく、そういった「見た目ではわからない病」全てに訴えかけるような作品だと感じたのだ。
「見た目は」正常で、家族や友達には笑顔を振りまく裏では、病気と戦い続ける姿が描かれる。
口癖のように「大丈夫」と繰り返す主人公、聡子の姿が脳裏に鮮明に残っている。そんな心に訴えかけてくるような脚本と演技こそが本作の見どころだろう。
「間」の取り方を贅沢に使った作品だった。
今回の映画、心の病全般を描いた群青劇という見方ができるが、家族や友達との会話のシーンから、主人公一人のシーンに至るまで、存分に間を取った撮り方がされた作品だっただろう。
深夜の台所で、無音の中で、聡子が「病気」と戦う姿は、戦っているシーンをリアルに切り取った今作における「陰」の描写となった。
些細なワンシーンの切り取り方が印象的な作品だった。
物語が描かれるにあたり、映画の「撮り方」としてとても秀逸だと感じた点が、些細なシーンの切り取り方だろう。
今作において、主人公、聡子が「摂食障害」を抱えていることを伝える描写がとても面白いシーンとなっていたのだ。
ノートに各食品のカロリーを書き連ねたり、ポッキーを一本食べるのを断ったり、彼女が悩みに悩んで行動に及んだであろう一挙一動が、とても印象的に映る映画だった。
友達の家に泊まりに行った際、障害と戦い続ける彼女の姿、クッキーに一枚、二枚と手を伸ばす聡子の姿は、映画をここまで観たからこそ芽生える、不思議な感情がある。
もう一人の主人公「マキ」の存在。
今作の映画において、「摂食障害」だけではなく「心の病全般」を描いている作品だと言及したが、その本質を持つキャラクターこそが、この「マキ」の存在である。
この女性、聡子自身が摂食障害であることを唯一話せる人物となるが、彼女もまた「病気」を持つものだった。
彼女の場合は「精神疾患」であり、後々生まれた病ではなく、どちらかと言うと「知的障害」に近い症状だっただろう。
聡子も、マキも、「見た目ではわからない病」の持ち主であり、本作の最大のテーマであることがこの二人のキャラクター設定に依存してくることとなる。
映画の終盤、マキも「病」にかかる者であることに気がついた聡子は、生きてほしい旨のありったけを伝える。
聡子の「更生」を意味するようなシーンとなり、本作の「チャプター」と一つとして機能させた重要なシーンとなった。
直接的な病である聡子のキャラクターに対して、キャラクターとしては明るいのに、どこか「闇」を感じるマキのキャラクター性も本作を引き立たせる要因の一つとなっていただろう。
「山」や「谷」を感じさせない、じわじわとした墜落を描く。
他人が見ても、それは本人すらも「病気」であることが気が付きにくい病「摂食障害」そんな彼女の「墜落物語」とも取れるような作品であるが、キモとなったのはその「ジワジワ感」だった。
日常生活を普通に続けながら、隠れて食べては吐いてを繰り返す聡子、次第にエスカレートしている症状に、心を痛めるような描写も多いだろう。
大きな「山場」を感じさせることなくチクチクと心を蝕んでいく脚本と演出は、辛くも、見入ってしまうような、独特な世界観を作り上げた。
「依存すること」の怖さを描くと同時に、誰しもがかかってしまうような導火線を抱えた恐怖を感じながら、観てほしい作品となったのだ。