先日、円満としていた仕事において、
久しぶりに心がザワつく出来事があったので、
それを今回はブログにしてみることにした。
事の経緯
ぼくの従事する仕事、
これはいわゆる「シフト制」と呼ばれるもので、
夜勤もありほぼほぼ24時間で回っている。
確実に「後番への申し送り」が発生するものであって、
これを避けて通る道はない。
そんな先日、
仕事において2人で回す勤務の申し送り時、
仕上げの甘さにより、
後番となる先輩から
「雁首揃えて何やってたんだ!」
とのご指摘を頂いた。
この言葉は確実に
ぼく達2人に向けられていたが、
指摘箇所はもう一人の担当となっていた。
言い訳としては
「自分の持ち場ではなかった」
と、逃げの一手を打つのもありだが、
とりあえずその話は置いておく。
論じたい箇所はそこではない。
このヤンキーの成り上がりのような先輩、
事実、仕事はできる人であり、
そんな指摘も的を得るものであったが、
ぼく以外にも心がザワつく思いをする人が
少なからず居るだろう。
片割れが外に消えてから、
その先輩はぼくに
「○○は動かないんだよな〜」
と咄嗟のフォローを入れてきたが、
もう遅い。
ぼくはつらつらとこのブログ記事の内容を
考え始めていた。
意味を調べてみる
「雁首揃えて」
これを辞書で引いてみると、
こんな言葉が出てきた。
雁首を揃える がんくびをそろえる 何人かの人が首を垂れてかしこまっていたり、 いっしょに行動したりするさまを、 やや軽蔑(けいべつ)していう言葉。 「いくらきみたちが雁首を揃えたって、課長一人の行動力にはとてもかなわない」
そう、確実に
ぼくにも軽蔑の目を向けている言葉だ。
2人で業務を全うしている以上、
ぼくはこの言葉を甘んじて受け入れた。
次からは気をつけることとする。
そうした上で、ここからが本題だ。
心のザワつきの原因
さて、この先輩のセリフ、
ぼくは表の自分が甘んじて受けいる中、
裏の自分も顔を出していた。
そんな裏の自分は
こんな疑問を「表のぼく」に呈してくる。
当人は意味を知っていて使ったのだろうか?
もっと優しい言い方はできないものか?
実はぼく、
言葉遣い一つで喧嘩は愚か、
殴り合いにまで発展するケースを
今までにいくつも見てきた。
そんな時、リングに上がっている人間は
誰もがそれらしいことを言い、
仕事上の「行動」「考え方」
そんなことを理由に
ゴングが鳴らされた。
いや、正確には鳴らされたと「思っていた」
ぼくの目からその数多の喧嘩を
論理的に噛み砕いてみると、
確実に「行動」や「考え方」に
火種は無かったのだ。
その全てこそ「言葉遣い」に起因する
争いであり、
いつ、どの喧嘩でも、
そんなやんちゃな言葉を駆使する者同士の
喧嘩となっているのが
火を見るより明らかだったのだ。
「身内」を初めとした、
そんな人間達を目の当たりにし続けていて、
今までは耐性が付いていたはずであったが、
そんな「現場主義」の
荒くれ者が集う会社を退職し、
「日本一周」という甘美で平和な
ぬるま湯に浸かっていたせいで、
ぼくは完全に
耐性が無くなってしまったのだった。
「心のザワつき」の原因は、
ぼくの「耐性」が無くなったからだ。
どう改善していくか?
会社内に新たな「火種」を
見つけてしまったぼくであるが、
まだまだ諦める訳にはいかない。
これをどう改善していくか?であるが、
長年、揉まれて鍛えた、
ぼくのメンタル均等術を活用する時が
来たようだ。
70億を超える人口が住む、
この「地球」という星、
人を殺したり、食ったりする人間が
いるくらいなのだから、
「言葉遣いが荒い人間」なんて
星の数ほど居る。
そんな人間一人一人と対話する度に
メンタルを殴られていたら正直キリがない。
ぼくは彼らを更生させるのを
「諦める」ことにしたのだ。
彼らからの圧力に対して
こちらも押し返すことは、
言い方を変えれば
彼らを「更生」させようとしていることに結びつく。
そしていつまで経っても押し問答が続くだろう。
そんな無意味な頑張りを見せるより、
さっさと諦めて、
自分の中で「昇華」してしまった方が
全然楽であるのだ。
さて、「昇華」とは言ったが、
その昇華先こそにこの考え方の本質がある。
昇華先は「ゴキブリ」である。
例えば、友達などに悪口を言われれば
皆はムカつくだろう。
しかし、通りすがりのおじさんに、
急に暴言を浴びせられても
出てくる感情は「???」くらいのものなのだ。
更に想像してほしい。
「ゴキブリに暴言を吐かれる」
あなたはゴキブリにムカつくだろうか?
最後にこの記事を象徴するような、
一作の漫画の名シーンとなる
一コマを置いておく。
それでは。