本記事は、映画「グリーンインフェルノ」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
「グリーンインフェルノ」
2013年、イーライ・ロス監督によって制作されたホラー映画。
1980年制作のイタリア映画「食人族」をモチーフとしてアメリカで作られた。
上映時間は100分。
あらすじ
女子大生のジャスティンは、国連弁護士の父に見守られながらも楽しく学校生活を送っていた。
学内の至る所であらゆる「抗議活動」が行われる中、ジャスティンは原住民達が行う「女子割礼」の講義を受ける事となる。
女性器を切り取られる残酷な風習に、ジャスティンは原住民達に強い関心を抱くこととなる。
そんなある日、原住民の住む森を開拓する企業に対し、抗議活動を行う「アレハンドロ」率いる行動集団に入ることとなる。
熱帯雨林を開拓し、民族「ヤハ族」を迫害しようとする企業に抗議を行うため、ジャスティン達はアマゾン熱帯雨林へ向かうのだった…。
出演役者
本作の主人公、女子大生の「ジャスティン」を演じるのが、「ロレンツァ・イッツォ」
チリ出身の若き女優で、アメリカで活動している。
あの名画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」にも出演している。
ちなみに余談ではあるが、本作の監督であるイーライ・ロスと、2014年に結婚し、2018年に離婚している。
出会いのきっかけは本映画の撮影だった。
抗議グループのリーダー「アレハンドロ」を演じるのが、「アリエル・レヴィ」
本作以外ではあまり有名な作品に出演していない。
主にアクションやパニック作品へのキャスティングが多いようだ。
ネタバレ感想と考察
「意識高い系」へのアンチテーゼ作品!?
本作の登場人物、ジャスティン含む、その他大勢は皆が漏れなく「大学生」、そして「先進国」の人間で、優雅に生活を送っていた。
そんな大学生達が捕まり食人族に蹂躙される様は、心苦しい反面、言葉にできない爽快感さえ覚える人も居るだろう。
それもそのはず、本作は、そんな若者達に警笛を鳴らすようなアンチテーゼ作品として制作されたのだった。
事実、本作の監督のイーライ・ロスは、自身の口から、「この作品は、ネット文化にどっぷりつかり、自分はなにひとつ考えても動いてもないのに、どこかから流れてきた社会性の高そうな記事やツイートをただシェアしてるだけで、活動家になった気になってる人たちへのアンチテーゼだ。」とも述べている。
B級感溢れるグロテスク描写
そんな本作、アンチテーゼ作品と謳われることを象徴するかのように、大学生たちは次々と虐殺されていき、グロテスクな描写も多数出てくる作品となる。
生きたまま目をくり抜かれ、手足を切断されたり、喉を掻っ切られたり、ありとあらゆるシーンで「死体晒し」や「食人」が行われる。
その遠慮の感じられない描写の数々に、B級感をどうしても感じてしまうような作風に仕上がっている。
本作のジャンル、世間に訴えかける主軸となる「テーマ」のようなものが存在しつつも、軽快な音楽や、大学生ならではの明るいキャラクターもそう感じさせる要因として織り込まれていた。
「コメディ」と言えなくもない作風。
本作の始まりから、いわゆる「フラグ」のようなものがいくつも立てられ、明るく無邪気に「旅行気分」で笑みを浮かべる大学生達に、一種の「コメディ感」を感じてしまう演出も施されているだろう。
そんなコメディ感も相まって、よりB級映画らしい作風に仕上がり、グロテスクな描写を「アンチテーゼ」として捉えることができる範疇で楽しむことができる作品なのだ。
ラストシーンの男と続編について…。
物語が終わり、エンドロールが流れているシーンで、瞬間ノイズが走り、ジャスティンと「アレハンドロの妹」と名乗る人物との通話のシーンが演出される。
その航空映像には、全身真っ黒に染まったアレハンドロらしき原住民の姿が映し出される。
諸説あるが、やはり有力なのは、食べられないために「ヤハ族として生きていくこと」を決意したアレハンドロである説が濃厚だろう。
逃げる瞬間ジャスティンは本性を表したアレハンドロを見捨てて、ヘリコプターに乗り込む際も、「もう助ける人間は居ない」と救助隊に述べている。
「物語はまだ終わりでない」ようなニュアンスを含むこのシーンであるが、一体、航空映像の男性が誰なのかは、語られないまま、物語の幕を閉じることとなる。
そして2013年9月7日、「Beyond the Green Inferno」というタイトルで続編が製作されることが発表されたが、2020年の今現在でも、それ以上の情報は無いままである。
Googleでの検索ワードを見る限りでも、続編を期待するファンは多いようだ。
ジャスティンは何故最後に嘘をついた?
物語のラストシーン、「ヤハ族」との交流を語るシーンで、ジャスティンは「友好的」そして「食人はしない」とも語る。
何故あんな目に合わされたのに嘘をついたのだろうか?
ジャスティン含む、先進国の人間たちは、ジャングルを開拓する上で、原住民達に、自分たちの「概念」を植え付けようとしていたと考えていいだろう。
ジャスティンはそんな先進国の人間たちの「概念の押し付け」に気が付き、彼らには彼らの文明、文化があり、それを外の人間が押し付けてはいけないことを暗に伝える、一種の「抵抗」をしたと考えられる。
また、ジャスティンを助けてくれた、ヤハ族の小さな男の子の存在も彼女の中では大きなものだっただろう。
なんにせよ、彼女だけは無傷で助かったのだからなんとでも言えるだろうが…。
ヤハ族は実在する!?
本作でヤハ族を演じた民族の面々達、かなりのリアルな迫真の演技を見せてくれたが、彼らは「食人」はしないにせよ、「本物の先住民」だったのだ。
本作の中で登場するヤハ族を演じたのは、カラナヤク族という先住民たちで、彼らは映画という存在も知らなかった。
そこでイーライ・ロス監督は撮影する前に映画というものを彼らに理解してもらうため、映像機材を現地に持ち込んで一本の映画を見せた。
その映画こそが前述した、モデルとなった映画「食人族」である。
他のメジャーな映画は一切見せることなく、先住民に「食人族」だけを見せて撮影を開始したのだ。
イーライ・ロスは先住民たちに自分たちがこれから撮影する作品の暴力のレベルを理解してもらうために食人族を観てもらったと語り、この撮影方法こそが、イーライ・ロスの最大の拘りだっただろう。
撮影を終えたイーライ・ロスは、「カラナヤク族の中で映画とは何なのかという基準が『食人族』になっている」と語っている。
先住民たちは映画を「食人族」しか知らないのだから必死に「食人族」の食人族を真似たはずだ。
知ってしまうと映画の恐怖が半減してしまいそうな撮影現場の話だが、実際には普通に俳優が演じるよりリアリティはある。カラナヤク族は本物の先住民であり、それは言ってしまえば“人を襲わないゾンビが人を襲うゾンビを演じる”ようなものになってしまう。
彼らの純粋な演技にもぜひ注目してもらいたい、「ヤハ族」のリアルで狂気溢れる演技の要因はそこにあるだろう。
「食人」関連として挙げると、カニバリズムの歴史や心理に関して紐解いた、中野美代子氏による「カニバリズム論」がある。
こちらの書籍も一時話題となり、大変興味深い内容が書かれているので、興味がある人は是非とも一読してほしい。