本記事は、映画「FOUND ファウンド」の
ネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、
注意して読み進めてください。
FOUND ファウンド
2012年、スコット・シャーマー監督によって製作された
サイコサスペンス作品。
とある一家の秘密を描いた物語。
上映時間は103分。
あらすじ
舞台はアメリカ、
小学生であるマーティは
学校でイジめられながらも、
友達と「ホラー映画」などの
カルチャーを楽しむ
内気な少年だった。
マーティには社会人の兄である
スティーヴがいたが、
ある日、彼の部屋のクローゼットから
「生首」を見つけてしまう…。
出演役者
本作の主人公、
少年マーティを演じるのが
「ギャビン・ブラウン」
本作の主人公として、
高い演技力を見せつけてくれた
実力派の子役であったが、
本作品以外に有名な作品には出ていないようだ。
兄であるスティーヴを演じるのが
「イーサン・フィルベック」
本作品での中心人物として、
サイコパスなキャラクターを
熱演していたが、彼もまた
有名な俳優ではなかったようだ。
ネタバレ感想と考察
今まで描かれなかったサイコ作品、テーマは「家族の秘密」
本作の醍醐味ともなっている、
兄、スティーヴのキャラクター性と
スプラッター描写。
通常、「スプラッター作品」とは、
「映画」として作品を
鑑賞することが大前提となるが、
本作では、他のスプラッター作品では
描かれないような描写が
目立つ作品となった。
本作の主人公マーティの趣味は
作中でも「ホラー作品」や「スプラッター作品」を
鑑賞することであったが、
そんな彼に降りかかる災いの元凶が
「最も近い場所」にあったことが本作の
特質すべき要項だろう。
マーティ自身も「映画」と割り切った上で
鑑賞しているからこそ楽しめた作品たちである中、
実の兄のスティーヴが、
そんな犯罪に手を染めている「設定」こそが
他の作品では描かれていなかった。
作品の演出としての「リアルさ」「グロさ」ではなく、
あくまで作品の「脚本」や「設定」という
観点から、
本作がよりリアルに、そして「身近」に
感じてしまう作風はとても面白かった。
「SAW」シリーズで見られるような
「自分を投影した鑑賞方法」が
本作でもできるが、
これまでのスプラッター作品とは
どこか違う感覚の寒気を覚えてしまう。
貴方の身内にも、
こんなサイコパス人間が潜んでいるかもしれない…。
ファンの要望?ついに「あの映画」もベールを脱いだ!?
前述したとおり、
本作の主人公マーティは
数々の「ホラー映画」を鑑賞する
「ホラー大好き少年」であったが、
彼の鑑賞する作品の数々は、
実際に存在する作品たちであった。
事実、作中のマーティの口からは
「ヘル・レイザー」をはじめとした、
実際に存在する数々のホラー作品が登場する。
そして問題の作品「ヘッドレス」
兄であるスティーヴをサイコパスに仕立て上げ、
犯罪者へと駆り立てた元凶となるビデオであるが、
この作品に関しては、
映画公開当時は唯一のオリジナル作品となっていた。
作中でもリアルで、過激で、
なかなかのクオリティであっただけに、
これが「作中作品」であることに
驚いた鑑賞者も多かっただろう。
そんな「ヘッドレス」であったが、
ファンの要望なのか、
2015年に「スピンオフ作品」として、
映画化しているのだ。
作品の内容はもちろん
原作で登場するそのままの内容、
決して言葉で言い表すことができないような
グロテスクな描写が登場する作品である。
ちなみに物語の脚本であるが、
しっかりとしたストーリー設定は
練られることが無く、
一人のサイコパス(ヘッドレス)が、
ひたすらに女性の虐殺を繰り返す作品である。
85分の長さがある映画なので、
気になった人は観てみよう。
主人公のキャラクター性が絶妙にマッチした作風
ホラー映画を好き好んで鑑賞する
主人公マーティであるが、
映画冒頭の「生首」を発見するシーンから、
本映画が「マーティの妄想である」と
考えた鑑賞者も居たことだろう。
イラストが好きで、ホラー映画を好むマーティの
キャラクター性からも
この考えに違和感は覚えず、
スティーヴが詰め寄るシーンで初めて
「本物の生首であったこと」が
明かされる。
「スプラッター」に対して
ある程度の抵抗ができ、
純粋で無邪気な心を持つマーティだからこそ、
この「本当か嘘かわからない効果」を
生みだすことに成功していたのだろう。
鑑賞者の僕たちはわからなくても、
マーティ自身の中では「本物の生首であること」が
わかりきった事実であった。
そんな主人公の目線と
鑑賞者の目線に相違的な効果が生まれ、
「客観的目線」で鑑賞できる試みも
面白いものであった。
ちなみにマーティであるが、
前述した「ヘッドレス」だけは
受け付けることができず、
楽しんで鑑賞することができなかったようだ。
それもそのはず、
マーティだけが「本物の生首」の存在を認知し、
兄の行動や思考が映像として
伝えられているようなものなのだから。
本作を「思想系ヒューマンドラマ」として紐解いてみる。
物語の本筋として描かれていたのは
限りない「スプラッター作品」であったが、
それを紐解いてみると、
色々な問題が顔をのぞかせるような作風となっている。
まず、「イジメ問題」について。
本作の主人公マーティは、
黒人の男の子「マーカス」をはじめとした
クラスのメンバーにいじめられていて、
父親のスタンリーに相談するも、
具体的な解決には至らなかった。
勇気を振り絞って
からかってきた同級生を殴るも、
牧師には諭され、
母親にも怒られる。
家に帰り、
最初は「殴り返してやれ!」と助言してきた
父親にも殴り返したことを起こられる始末。
更には唯一の友達として接してくれた
「デヴィット」にも
「一緒にいたら僕までバカにされる」と、
絶交されてしまう。
作中に「モンスターはどっち?」と
つぶやくマーティの心理描写は、
本筋とは違ったベクトルのテーマを
含んでいる演出となっていた。
そして「黒人差別」、
これに関しては、アメリカでは
最も根強く残る問題の一つであり、
サイコパスのスティーヴは
そんな黒人をターゲットに
犯罪行為に及んでいる。
また、父であるスタンリーも
黒人を毛嫌いし、
マーティをいじめていたマーカスを
蔑む発言をしていたが、
「マーカス」を蔑むというよりは
「黒人全体」に言及する発言にも聞こえた。
本作では、これ以上
この問題に切り込むことはなかったが、
暗にアメリカの抱える問題を
映像化したシーンにも見えた。
そして「兄弟愛」
サイコパスであったスティーヴは、
数々の人間を手にかけ、
両親まで殺害するも、
マーティに関してだけは
絶対に危害を加えることはしなかった。
いつどのシーンでも、
マーティの「兄」であり続け、
そこには「本物の兄弟愛」があったことを
示している。
物語の終盤、
マーティが「泣く」ことに関して、
トラウマ級の発狂を見せるが、
これが「歪んだ愛の形」であるかどうかの判断は、
鑑賞者に委ねられるようなシーンとなった。
「日本版 ファウンド」のパッケージには、
「史上最も美しいスプラッター映画」の
見出しがある。
グロさも織り込まれつつ、
儚く悲しい物語が描かれる作風については
頷けるような内容となっただろう。
マーティとスティーヴ、兄弟の対話シーン、
いじめられるマーティの相談にスティーヴは
「俺が何とかしてやる」と言い放つ。
その言葉には本物の愛が含まれていたのは
事実だったのだろう。