本記事は、映画「屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ
2019年、ファティ・アキン監督によって制作された伝記映画。
ドイツで実在したシリアルキラー「フリッツ・ホンカ」の半生を描いた作品。
上映時間は110分。
あらすじ
舞台は1970年代のドイツ、ハンブルク、大酒飲みや娼婦の集うバー、「ゴールデングローブ」は今夜も賑わっていた。
数々の人が楽しむ中、醜い容姿をしたフリッツ・ホンカは今夜も娼婦を物色する…。
しかし、ひとたび飲酒したホンカは、女性に残虐行為を行うアルコール依存症だった…。
出演役者
本作の主人公フリッツ・ホンカを演じるのが「ヨナス・ダスラー」
元々は二枚目の若い俳優であるが、今回の映画のために特殊メイクを用いた。
女子高生であるペトラを演じるのが「グレタ・ゾフィー・シュミット」
ホンカにストーカーされる女性。
作品を通してホンカの存在には気が付かなかったのが面白い。
ネタバレ感想と考察
実在した殺人鬼!?フリッツ・ホンカ
本映画を鑑賞し、調べてみて初めて気がつく事実、それは本映画が「実話」であり「フリッツ・ホンカ」が実在していたということであるが、実は映画内にはこの物語を実話だと匂わすシーンも少なかった。
そして、世の中には「実話を元とする伝記映画」がたくさんあるが、その中でもここまで忠実に再現した作品はそう多くはなく、時代背景から、場所、そしてフリッツ・ホンカの身なり、殺した女性の数までも一致しているのだ。
映画としての演出は女子高生である「ペトラ」の存在で、彼女ともう一人、男子高校生のヴィリの存在は映画ならではの要素だろう。
今回の映画の原作となるのは小説で、これも事実に基づいて作られている。
タイトルは「Der goldene Handschuh」で、ホンカの通ったバーの名前である「ゴールデングローブ」がそのままタイトルとなっていて、映画の洋題もこのタイトルである。
ちなみに、このBARも実際に存在し、2021年の今でもしっかりと営業しているお店である…。
「キモさ」こそが見せ所の殺人鬼…!?
今回取り上げられた殺人鬼、「フリッツ・ホンカ」であるが、他の殺人鬼とは少し違う、独特の雰囲気を纏っているように感じる。
これまでにも「実在する殺人鬼」をプロットとした伝記映画は数多く存在しているが、その中でも一際異端であると言ってもいいキャラクターだった。
殺人鬼としての彼のキャラクター像を洗い出してみよう。
すると、二つの特殊な点が浮かび上がってきた。
まずは「怖くない」ということ。
他のサイコパスな殺人鬼と比較した時に、彼ほどに「人間らしく」、喜怒哀楽がしっかりと読み取れる殺人鬼はとても珍しかった。
そして何より、その「キモさ」だろう。
彼の見た目については、もはや言及するまでもないが、これまでに実在した殺人鬼達では怖さの中にも「かっこよさ」があり、スマートにコトを進める手際の良さがあったが、ホンカにはそれが見られない。
泥臭く、一時的な怒りに身を任せ、そしてその場しのぎの処理をするキャラクターであり、映画の世界観としても作品を通して「不潔」に描かれ、彼が身を置く生活環境が生々しく伝わってきただろう。
エンドロールのシーンで彼が住んでいた屋根裏の写真が流れるが、なかなかの再現度だったのではないだろうか?
そんな「リアル」を演出していることからも、彼の犯罪の「恐ろしさ」を伝える映画と言うよりは、彼自身の半生を物語として送り出した伝記映画と捉えるのが正解だろう。
また、これには彼自身が「アルコール中毒」であったことも大きく関係している。
「酒」さえ無ければ…!?
伝記映画であると同時に、本映画のテーマの副産物が生まれている。
何を隠そう、「酒は怖い」ということだ。
これもリアルの出来事であるが、実際にフリッツ・ホンカは禁酒している。
ホンカ自身がより「人間らしい」サイコキラーに描かれていたのは、彼自身が「アルコール依存症」と戦い、そして葛藤していたことが一番の要因に見えるのだ。
飲酒していない時のホンカの大人しく、真面目な姿には、驚かされるような場面も少なくはなかった…。
「グロ映画」として鑑賞した時の本作。
数々の映画レビューサイトを見ていて、やはり多い意見は「とにかく汚い!グロい!」などの意見だった。
それもそのはず、本映画ではホンカと言うキャラクタの生い立ちや歴史ではなく、「彼自身の行動」にスポットライトが当てられた造りとなっていたからだ。
映画が始まってすぐ…ホンカが「女性の解体」を始める描写で幕を開ける本映画は、序盤のシーンで受ける衝撃は多い。
また、ホンカの「行動」を切り取っていくことにより、「日常ドタバタ映画」の感覚も感じる。
伝記映画であり、サイコ映画であり、同時に「ギャグ映画」のような切り取られ方がされているのも、他のサイコ作品では見られない演出となっていた。