本記事は、映画「あくまのきゅうさい」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
「あくまのきゅうさい」
2018年三重野広帆監督によって制作されたサスペンス作品。
同じ地域で起きた殺人事件を追う刑事の物語。
上映時間は66分。
あらすじ
舞台は日本、ある日とある事件が立て続けに三件連続で起こる。
それは「虐待されていた子供が家族を殺した」というものだった。
当初は子供たちの「モラルパニック」によるものだと考えられていたが、不可解なことにそれらの事件はどれも「同じ地域」で起きていた。
そんな事件を追う刑事たちがいた…。
出演役者
本作の主人公、刑事の井上を演じるのが「鈴木博之」
本作のカギを握る人物、畑沢を演じるのが「板垣まゆ」
配信コンテンツ
「あくまのきゅうさい」は今現在、Amazonプライム、等で配信されている。
ネタバレ感想と考察
答えが無いテーマを見事に描き切るショートムービー。
この作品の上映時間は66分。
色々の映画作品の中でもかなり短い時間の映画で、分類は「ショートムービー」となるような映画だ。
しかし、そんな短い映画にしては非常に重いテーマが設定される作品でもある。
それは「本当に悪いのはどちらか?」という、哲学的に訴えるものだった。
当初は「虐待していた親を殺した」として子供たちが逮捕されることとなるが、真犯人は保育士の「畑沢あやね」であった。
彼女は虐待を受けていた子供たちの保育士であり、虐待を受けていることを知り、親を殺した。
そして子供たちは畑沢の犯行のために家のカギを開け、今でも畑沢を「崇拝」している姿が描かれるのだ。
「殺した畑沢」と「虐待していた親」どちらが悪いのか?
主人公の井上もこれに翻弄されることとなる。
なぜなら、井上自身も親を疎ましく思う瞬間があったからだ。
彼の父親は寝たきりの老人となっていて、井上がお見舞いに行った際に「寝ている方がいい」と発言することから、折り合いも悪かったと推測される。
そしてこれは筆者の妄想ではあるが、「井上自身も虐待されていた」可能性もある。
畑沢と出会った瞬間から、彼の行動に迷いが感じられるようになる。
そんな子供を目の当たりにした時、皆さんは畑沢を「裁ける」だろうか…?
サスペンスなのにミュージカリーな作風!
本作の特筆すべき点をもう一点挙げるなら、それは本作の「ミュージカル映画」としての一面だろう。
この作品は井上の葛藤しながらの事件の捜査を描きながら、時折「ミュージカル」に転換するシーンがある。
そのミュージカルはどこか妖艶で猟奇的で、そのくせ、なんの含みも感じられないように思えるが、これは井上のその時の心中をイメージするように展開されていると考えられる。
そしてラスト近く、ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」のテーマに乗せて、ついに井上は父親を刺殺する…ような妄想を見せる。
これまで冷静沈着を貫き通した井上の爆発シーンだろう。
そしてこの井上、彼もまた一人のサイコパスの面影を持つ。
一番ヤバイのは刑事の井上だった…!?
主人公の井上は自他ともに認めるベテラン刑事。
仲間の刑事全てから親しまれ、いつでも冷静沈着な様子を見せていたが、畑沢と出会うことにより、どんどんとキャラクターが崩壊していく。
後半の井上は冒頭とのギャップがありすぎる。
そして刑事として生活する「まとも」な頃の彼もまたある意味でサイコパスな人間として描かれていた。
・お風呂に浸かりながら事件現場の写真とにらめっこ。
・布団に入り、天井に貼られた現場写真とにらめっこ。
ラストの「ラプソディ・イン・ブルー」が流れるシーン、これまでのすべてが解き放たれる井上を見ていると、園子温監督の「冷たい熱帯魚」を思い出してしまったのは、筆者だけではないだろうと思う。
ここまでに仕事に熱中させる彼の過去には一体何があったのだろうか…?
想像は膨らむばかりだろう。
余談ではあるが、本作はなんと「学生自主映画」であることが三重野監督のSNSで語られている。
考えてみれば時折、役者たちのどこか素人くさい演技は感じていたが…ここまでの脚本を仕上げられるのは素直に拍手を送れる。