「拷問男」ネタバレ感想と考察【娘を奪った加害者に…同じことをやり返す復讐劇】

  • 2021年8月23日
  • 2021年10月6日
  • 映画
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本記事は、映画「拷問男」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。

鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。

拷問男

2012年、クリス・サン監督によって制作されたオーストラリアの作品。

とある男の復讐劇を描いたサイコサスペンス作品。

上映時間は107分。

あらすじ

舞台はオーストラリア、シングルファザーのデレクは、元妻とは仲が悪いものの、娘を大切に育てていた。

そんなある日、娘が何者かに拉致、殺害され、無惨な姿となってしまう。

復讐を誓ったデレクは、犯人を見つけ出し、拷問する準備を始めるのだった…。

出演役者

本映画の主人公、デレクを演じるのが「マイケル・トムソン」

オーストラリアラリアの俳優で、本作以外ではB級映画への出演が多い。
本作では主人公ながら爽快なサイコパスキャラクターを演じている。

 

デレクの弟であるトミーを演じるのが「クイスチャン・ラッドフォード」

あまり有名な俳優ではないようで、本作以外の作品も多くはヒットしなかった。

陽気でやんちゃな弟トミーを演じている。

 

デレク親友で、仕事仲間のコリンを演じるのが「ショーン・ガノン」

こちらもやはり有名ではなく、映画作品への出演はヒットしなかった。

 

ネタバレ感想と考察

題名通りの拷問の数々…

本作の映画、タイトルを見た時点で「お察し」できるスリラー作品であることは間違いない。

タイトルに興味を惹かれた鑑賞者の方には、ある意味で「期待を裏切らない」作品となっていたのではないだろうか?

その名の通り、本作は「拷問」についての映画であるが、主人公のデレクは弟のトミーをこれでもかと言わんばかりに痛めつける描写がほとんどとなる。

ここで注目したいのが、あくまでもトミーの「殺害」は頭に入れていないところがキーポイントとなっていることだ。

映画の当初、デレクは確実に「トミーを痛めつけて殺すこと」を目的としていたが、結果で言えばトミーを生かす選択肢を取る。

「拷問のターゲット」を徹底的に痛めつけることに、ストイックに取り組んだ斬新な作品であり、そんな映画で描かれた拷問の数々をおさらいしよう。

・器官を切開してストローを刺す。

本映画で繰り出される最初の拷問であり、描写されることなく、既に行われていた。
生きながらにして「声を出すことができない」という、よりじっくり拷問を行うための施術となっていた。

 

・頭を固定する装置を着用する。

トミーの動きの自由を奪うために、デレクが取り付けた装置。
動くことで頭にボルトが突き刺さっていく。

 

・ナイフを脇腹に突き刺す。

デレクが放った初めての描写される拷問。
ここからトミーの地獄は始まる。

 

・ガスバーナーで傷口を炙り、出血を止める。

デレクが細部に渡りトミーを痛めつけるために行った、聞き込み調査から得た拷問方法。
「死なせないため」にも行った「治療」としても捉えられるが、本作ではそれすらも拷問として利用していた。

 

・ペンチで指を切断する。

昔起きたとされる、イギリスでの虐待事件を真似て行われた拷問。
切断後、高温に溶かしたワックスで止血する。
この作業中に母親からの着信に応答し、何事もないかのように会話する。

 

・太ももにドライバーを突き刺す。

デレクの身を案じて訪れた両親の訪問中に行う拷問で、上階に両親を待たせた状態で、ドライバーを突き刺しに来る。
ここで初めてトミーは「殺してくれ」と発言する。

 

・直腸に有刺鉄線を差し込み、引き抜く。

本映画最凶と言ってもいい拷問。
過去にトミーにレイプされた子供たちを意識しての拷問で、有刺鉄線は映画の最後に引き抜かれる。

 

・「膝分裂機」によって膝を砕く。

トミーが昔に手をかけたベンという少年に行った行為から着想を得た拷問で、左ひざの皿を体から引きはがした。
この行為をする前に、眠るトミーに「特殊な薬剤」を嗅がせて目を覚まさせる。

 

・電話帳を腹部に置いて、その上をハンマーで叩く。

オーストラリアで起こった拷問を真似て行った拷問。
昔レイプ殺害した少女の遺体の在処を聞き出し、その後、右手をハンマーで粉砕する。

 

・歯をペンチで無理やり引き抜く。

娘のジョージアに嘘を付いたことから行う拷問。
出血による窒息を防ぐため、掃除機で口内の血を吸いとる。

 

・右手をサンダーで切断する。

娘ジョージアに行った行為をそのまま真似た拷問。
切断後、止血のためにガスバーナーで炙るが、トミーからの反応は返ってこない。
ここで親友のコリンを地下室に招き入れ、拷問をお披露目する。
逃げ出すコリンに「両親に電話すること」をお願いする。

 

・トミーを殺さない。

最後の拷問、立ち切狭をトミーの喉元に突き刺そうとするが、デレクはこれを行わない。
去り際、「死ぬなよ、次は刑務所が待ってる。」と語りかける。

なんとも衝撃的すぎる拷問の数々であるが、なぜかデレクに対して嫌悪感を抱けない。

そんな脚本の不思議については次項で触れていく。




何故か「観れる」主人公のキャラクター性

本映画を鑑賞して、一番凄いと思ったことがある。

それは、あれだけの拷問をしてきたデレクに、あまり「サイコパス感」を感じなかったことである。

本来この手の拷問作品では、拷問をかける側のマイナスイメージはぬぐい去ることか出来ないまま、胸糞悪い気持ちを抱えて見終えそうなものであるが、本作ではそれを感じない。

その理由はやはりラストシーンにこそ隠されているだろう。

結果デレクはトミーを「殺さない」、この脚本こそ、この映画をただの「拷問映画」で終わらせていない一番の要素だろう。

そして、拷問が開始されるまでの間に描かれたデレクとジョージアの微笑ましい親子関係や、拷問中によぎるジョージアとの思い出がこの感覚を鈍らせている。

本映画はSAWシリーズで描かれるような「一方的な拷問」ではなく「勧善懲悪の構図」として描かれるのが、本作で感じ取れる最大の魅力となっていた。

デレクは決して「精神異常者」ではない。

あくまでも「一人の人間」の尊厳を保とうと葛藤しながら拷問を行い、「拷問の罪」に関して、完全に受け入れる覚悟であったことがとても印象的なキャラクターとなっていた。

 

現代の犯罪におけるアンチテーゼ的作品!?

拷問の最中でも描かれるように、作中に起こった拉致、監禁、性的虐待、少年犯罪などの数々の事件が登場するが、映画のエンドロールのシーンでも、これらの事件についてのニュースがフラッシュバック描写のように描かれている。

この描写について、監督のクリス・サンが訴えたいことは、「法でも裁かれない犯罪がある」ということだったと考察できる。

現在でも世界中で数々の事件が起こっては、法律では裁かれず、数年程度の懲役で済んでしまったり、被害者遺族が納得できないまま終わる事件が数多く存在することは周知の事実だろう。

それはもちろん日本でも他人事ではなく、「事件」を起こしても法では裁かれないことが往々にしてあることは鑑賞者の皆さんにも思い当たる節があるのではないだろうか?

そんな人々の気持ちを代弁するかのように作られたこの作品、純粋な「スプラッター作品」で終わらせてしまうには、少しもったいないように感じてしまう…。