本記事は、映画「ジェラルドのゲーム」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
「ジェラルドのゲーム」
2017年、マイク・フラナガン監督によって制作された作品。
非日常なプレイを求めた夫婦が数奇な事故に遭う物語。
上映時間は103分。
あらすじ
舞台はアメリカ、日常の生活がマンネリ化してしまった夫婦ジェシーとジェラルドはソフトなSMプレイを興じることで性生活を保っていた。
しかし、別荘に訪れた今日は少し過激、本物の手錠でジェシーは拘束される。
そして、プレイの前にジェラルドに異変が訪れる…。
出演訳者
本作の主人公、ジェシーを演じるのが「カーラ・グギノ」
本作のキーマン、ジェラルドを演じるのが「ブルース・グリーンウッド」
配信コンテンツ
「ジェラルドのゲーム」は今現在、Netflix、等で配信されている。
ネタバレ感想と考察
鑑賞者の殆どが騙される…「ふたつの脱出劇」
今回の作品、シチュエーションスリラーとしてもなかなか無いプロットが組まれてはいるが、珍しい点はそれだけではない。
一見、「SMプレイ中に起こった事故」からの脱出に見えて、物語が進むにつれて「父親に性的虐待を受けたトラウマ」からの脱出劇へと変貌を遂げていることには、鑑賞者の皆さんも気がついたであろう。
二つの脱出劇が見事に演出されている点が本作一番の仕掛けと言ってもいいだろう。
そんな内容であるが故に、アクション要素の多いシチュエーションスリラーと言うよりは、会話や言葉による展開が多いシチュエーションスリラーなので、サバイバル系アクションスリラーが好きな人であれば物足りないのかもしれない…。
そんな原作を描くのはあの「スティーブン・キング」で、今作の脚本を見れば彼が原作を書いていることにも納得できるだろうと思う。
「束縛」と「墓荒らし」の関連性は?
今回の物語を限りない「ホラー映画」に近づけた男、それは墓荒らしの殺人鬼「ジュベール」である。
ジェシーの脱出劇の合間合間に彼の存在はホラーのように演出され、彼女自身のトラウマが具現化された幻覚がジュベールだった。
今回のキーマンにもなる彼の話であるが、大前提として「彼は実在していた」のが本作のオチとなる。
物語中盤まではまるで「幻覚」のような扱いをされていたので、初見の人々はラストで驚くことだろうと思う。
そんな実在していたジュベールは、墓荒らしを経て猟奇殺人鬼として生きている危険人物だった。
そんなジュベールが、拘束されたジェシーの家に忍び込んだわけであるが、なぜ彼女は殺されなかったのだろうか?
それは物語のラスト、彼女の手記によって発覚されるが「ジュベールは主に男性を狙って犯行に及んだ」と記述されていることが理由だろう。
ジュベールというキャラクターの本質を紐解いてみると、決まってジェシーのトラウマが思い起こされるシーンで登場する。
彼の登場している間はジェシーに精神的苦痛、恐怖が与えられているシーンだとわかるのだ。
実在したジュベールに対して、ジェシーは最後に「思っていたより小さいのね」と言葉をかける。
彼女自身がトラウマに怯えることなく決別できたことを意味する演出だろう。
また、別の角度から見ると、自身を奮起させるようなセリフにも感じる。
ジュベールの存在は恐怖であり、彼女を人間的に成長させる要因の一つでもあったのだ。
数々のミーニング、指輪の謎は…?
実はこの作品中には、言われなければなかなか気が付かない小ネタが多数仕込まれている。
その中でもいちばん大きな疑問である「指輪」についてだ。
結婚指輪は、墓荒らしであるジュベールにジェシーが渡したものだ。
本来、墓荒らしとは、埋葬された遺体の付けている金品を盗む犯罪者であったが、そんなジュベールに指輪を渡している。
それではなぜジェシーは指輪を渡したのか?
それは指輪の存在が彼女の「束縛」を意味するものだからだ。
ジュベールを幻覚と思いながらも、あえて彼女は指輪をジュベールに渡したことで、ジェラルド、ひいては性的虐待に及んだ父親からの解放を自身で悟ったのだろう。
そして別荘からは指輪は見つかっていなかった。
この事実がジュベールの実在を意味している言葉でもある。
そしてその後、そんなジュベールと対面するジェシーが描かれている。
他にも、墓荒らしの表現法として「野犬が死体を食らう行為」がダブルミーニングとして機能していたり、「日食」の幻覚を見るタイミングは決まってジェシーのトラウマを想起させるシーンで訪れ、ラストはそんな太陽に向かってジェシーが歩くシーンで幕を閉じた。
その他も、開けっ放しのドア、唯一手が届く高級ベッド上の棚、バイアグラを愛用するジェラルドの置いた水、買ったばかりのネグリジェの値札、全てに細かなストーリーが設定され、脱出のアイテムになっていく。
この芸の細さが「脱出映画」として特質的な立ち位置にしている。
皆さんももう一度鑑賞してみてはいかがだろうか?