チョコレートドーナツ【ネタバレありなし徹底考察】

「チョコレートドーナツ」

2012年トラヴィス・ファイン監督により公開されたアメリカの映画。
映画のコンセプトは「同性愛」
上映時間は97分。

あらすじ

舞台は1979年のカリフォルニア。
ショーパブのパフォーマーとして日銭を稼ぐ、ホモセクシャルのルディは、
検事として働くポールと出会い恋に落ちる。

そんなある日、隣の部屋に住む家族の母親が刑務所に入ってしまったことを知ったルディは、
残された一人息子、ダウン症の少年「マルコ」を引き取り育てると決意し、ポールと共に暮らし始めるが…

見どころ①「現代におけるLGBT問題にスポットライトを当てる」

この作品、現代において問題となるLGBTにスポットライトを当てた珍しい作品となっている。

「LGBT」「ダウン症」、世間では決していいイメージのない困難。
そんな困難を乗り越えようと支え合うルディ達、
そしてマルコの人生に思わず自分を重ねてしまうような胸の詰まる映画である。
現代の世界で認められつつも、まだ弊害の残る数々の問題、

そんな問題に一石を投じるかのように発表された今作には、惜しみない拍手を送ろうと思う。

見どころ②「実話を元に制作された作品」

そしてこの作品、「実話を元にした作品」である。

1970年代のニューヨーク、ブルックリンで、
「ゲイの男性が育児放棄された子供を育てた」という、
実際にあったニュースに基づき作成されている。

脚本を務めたジョージ・アーサー・ブルームは、
モデルとなった男性と綿密にコンタクトを取り、脚本を書き上げた。

 

その背景を知りつつ視聴する今作、

「あなたは観終わった後、何を思うか?」

そんな質問を投げかけたくなるような作品に仕上がっている。

配信コンテンツ

そんな「チョコレートドーナツ」は今現在、
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ここからネタバレあらすじ

1979年、アメリカのカリフォルニア、ここに一人の人間が住んでいた。
彼の名前は「ルディ」、彼はゲイであり、近くのゲイバーに勤めていたが、
彼はゲイバーのお客さんであった「ポール」と恋に落ちる。

そんなある日、ルディの住むアパートの隣の部屋に住む住人が目に入る。
薬物を常時使用しているその人は、一人の母親であり、一人息子がいた。
真夜中まで騒ぎ続けるその母親は、息子を放り出したまま、
男と出歩いたりする日常を送っていた。

子供の名前は「マルコ」、彼は「ダウン症」だった。

ダウン症
身体的発達の遅延、特徴的な顔つき、軽度の知的障害が現れる病。
平均して8 - 9歳の精神年齢に対応する軽度から中度の知的障害であるが、
それぞれのばらつきは大きく、現時点で治療法は存在しない。

ルディはポールに、虐待を受ける子供をどうしたらいいか聞くが、
家庭局に相談すればいいと事務的な答えが返ってくる。
しかし、ルディは家庭局に彼を保護させたくなかった。
それは、ダウン症を持つマルコが家庭局に保護されても、
新しい里親が見つけられるとは思えなかったからだった。

ある日、薬物依存症の母親が逮捕され、ルディはマルコを自分の家へ招く。
検事局に勤めるポールは母親が入所している間、
養育の権利が取れるように奮闘する。

その際、少しでも有利になるように、
不安定なバー勤務のルディを検事である自分の同居人とし、
ルディ、ポール、マルコの三人での生活が始まる。

 

マルコの好物はチョコレートドーナツだった。

普段はゲイバーで女声の歌を口パクで歌いながらショーダンサーをしているルディ、
しかし彼の本当の夢は、口パクでなく、自分の声で仕事をするのが夢だった。
その夢を後押しするかのように、ポールは録音機を買い、
ルディの馴染みのジャズバーで彼の歌を録音し、レコード会社などに送った。
一方マルコは、それまで通う事のなかった学校へ通いはじめ、
ハロウィン、クリスマス、バースデーなどの祝い事には
「家族」全員で、ホームムービーを撮るなど全ては順調に進んでいくように見えた。

マルコの担任の先生は、ルディとポールの関係に気づいていたが、
マルコに悪影響が無いと判断し、目を瞑っていてくれた。
検事のポールは仕事柄、自分がゲイであることは隠していた。

しかし、自分に好意を寄せる上司のホームパーティーに、
今まで従妹と偽っていたルディと一緒に招かれた際に、
ルディと同性愛の関係だとバレてしまう。
その偏見からポールはクビになり、
同性愛家庭は生育には良くないと、マルコは家庭局に保護されてしまう。

ルディは世界を変えたくて法の世界に転向し検事をしていたポールに語りかけ、
裁判をしてマルコを家庭局の保護下から取り戻したいと行動を起こす。
そして裁判当日、
マルコの学校の先生はマルコは学習面でも情緒面でも成長したと証言してくれ、
ルディの同僚は、マルコが一人にならないように、
時々ルディがゲイバーの楽屋に連れてきていたと証言してくれた。
相手側の弁護士は、ルディとポールの同性愛関係ばかりを責め続ける。
結果、マルコがルディとポールの元で暮らすのはふさわしくないとの判決が下る。

 

肩を落としているルディの元にブロードウェイのバーから、
歌手として雇いたいと連絡が来る。
マルコの裁判のためにゲイバーを辞めていたルディは、これを承諾。

そして、裁判をもう一度試みる。今度はロニーという黒人の新しい弁護士を付けたが、
ロニーはセクシャルマイノリティである彼らが、自分を弁護士に指名したのは、
自分もまた人種的にマイノリティであるからではないかと皮肉を言いつつも引き受ける。
今度こそ勝てる、もうすぐ家に帰れるとマルコに連絡するルディだったが、
相手方は、マルコの母を仮出所させ出廷させる。

過去の事があろうと、実の母親とあれば当然、養育権はマルコの母親に戻り、
母親がマルコを手放さない限り、ルディ達には里親になることは出来なかった。
マルコの母親は、「マルコを引き取りたいと言う」ことを条件に、
刑期が短くなると言う条件を突き付けられ、それを飲んだのだった。

家庭局から母親のいる家に帰ったマルコ。
しかし、母親は再び薬物に手を染め、男を連れ込み、以前の悲惨な家庭に逆戻りしてしまった。
辛くなったマルコはひとり、ルディとポールの家を探しに夜の街に出る。

バーで声を振り絞り歌うルディ、夜の道を歩くマルコ、タイプライターに向かうポール。
ルディの歌と共に、ポールが裁判に関わった人々に宛てた手紙が読まれる。
その手紙には、新聞の片隅に載った切抜きと、
マルコが家を求めて三日間さまよった挙句、橋の下で死亡したと淡々と綴られていた。

ルディはステージの上で、死んだマルコを思わせるような歌を歌う。




ネタバレ徹底考察

取り上げられたLGBT問題を描く、製作者の思い

世の中には色々な社会問題があるが、
ここまでLGBTの問題を皮肉った作品はそうそう無いだろう。

今現在、理解が進みつつあるLGBTであるが、
1970年代ではまだまだ理解が進んでいないことが、容易に読み取れる作品である。

こんな時代背景の中物語は、じわりじわりと悪い方向へと進んでいくが、
その描写から、脚本を務めた、ジョージ・アーサー・ブルーム、
そして脚本と監督を務めたトラヴィス・ファイン監督の思いが伝わってくる。

通常、この手の作品を描くにあたり、
制作する脚本ではハートフルなハッピーエンド作品となることが多いように感じるが、
今作ではそうではない。

マルコの死を慎むようにルディの歌声で幕を閉じるが、
「バッドエンド」としての作品であることが、
LGBT問題への問題意識を増幅させている一番の仕掛けだろう。

それ以外にも、薬物中毒や、ダウン症など色々な問題が渦巻くこの作品、
万人の人にそういった問題は刺さっていく。

ノンフィクションストーリーであることの重み

ノンフィクションが語られるこの物語、
1970年代のニューヨークのブルックリンで、
 ゲイの男性が育児放棄された障害児を育てた」
という実話に着想を得て製作された映画である。

今作ができるまでの過程で、脚本を務めたジョージ・アーサー・ブルームは、
モデルとなったゲイの男性を友人に紹介され、
彼がその子供を養子にしようとしたらどうなるだろうかと考えて、
ゲイの男性が少年を養子にしようとしたときに直面するであろう問題について調査し、
その数ヵ月後には脚本ができていたという。

その話を「見事」にバッドエンドストーリーに昇華し、
現代に叩きつけるような作風にした勇気に盛大な拍手を送りたい。

今作の人気は驚くほどのもので、
全米で行われる映画祭の観客賞を総ナメにし、
その波紋は日本をはじめとする国外には今でも広がり続けている。
それだけの人々が注目するほどに、
この問題について考えてくれている人が多いことがよくわかる作品だろう。