「ミリオンダラー・ベイビー」ネタバレ感想と考察【衝撃の鬱展開…貧困女性の脱却物語】

本記事では、
前半で、映画紹介&見どころレビュー
後半で、ネタバレ解説&徹底考察を行います。

ミリオンダラー・ベイビー

2004年、

巨匠クリント・イーストウッド監督により制作された作品。

監督を務めるクリント・イーストウッドは、

今作で主演も務めている。

ボクシングを題材とした、

家族からすらも愛情を受けた事のない孤独な女性と、

家族にすら愛情を見せた事のない

不器用な老年の男性の物語。

上映時間は133分。

あらすじ

舞台はアメリカ、中西部、

トレイラー・ハウスに住むほど貧しい家庭で育った

「マギー」はプロボクサーとして成功し、

自分の価値を証明しようと、

ロサンゼルスにあるフランキー

ボクシング・ジムの戸を叩いた。

 

最初フランキーは

マギーのトレーナーになることを拒んだものの、

次第に感化され、

毎日ジムに通い続けるマギーをコーチングしはじめる。

そして練習を通じ、

やがて2人の間に強い絆が芽生えて行く…。

出演役者

本作の主人公、

トレーナーのフランキー・ダンを演じるのが、

「クリント・イーストウッド」

 

ボクシングの頂点を志す女性、

マギー・フィッツジェラルドを演じるのが、

「ヒラリー・スワンク」

 

フランキーのボクシングジムで働く

エディを演じるのが「モーガン・フリーマン」

見どころ①「多数の賞を受賞した、巨匠クリント・イーストウッドによる作品」

製作・配給会社はワーナー・ブラザース。

そこから発表された今作は、

巨匠クリント・イーストウッドにより描かれ、

主演も彼自らが演じる作品となった。

公開当時74歳であった

イーストウッドによる25番目の監督作品であり、

3000万ドルの低予算と37日という

短い撮影期間で製作されながら、

その作品の完成度の高さと

従来のアメリカ映画との異質性を高く評価され、

全米だけでも1億ドルの興行収入を記録した。

その実績が認められ、

第77回アカデミー賞において、

作品賞、監督賞、

主演女優賞、助演男優賞

主要4部門を独占し、

他にもいくつもの賞を受賞する作品となった。

見どころ②「前半、後半で全く違うメッセージ性の脚本となる」

本作は、映画の前半と後半にわけた時、

全く違うメッセージ性の映画として

鑑賞することができる。

まるでジェットコースターのようなそのストーリー展開に、

あなたは必ず度肝を抜かれるだろう。

そんな作中の雰囲気の切り替わりや

違いが上手く仕掛けられた作品となる。

「鬱映画」とも名高い今作の結末を、

是非とも本編を鑑賞して確かめてほしい。

配信コンテンツ

「ミリオンダラー・ベイビー」は今現在、
Amazonプライム、Netflix、等で視聴できる。

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ネタバレあらすじ

舞台はアメリカ、中西部で

トレイラー・ハウスに住むほど

貧しい家庭で育った「マギー」は、

プロボクサーとして成功して

自分の価値を証明しようと、

ロサンゼルスにある

フランキーのボクシング・ジムの戸を叩いた。

フランキーはかつて止血係(カットマン)として活躍した後、

トレーナーとなってジムを経営し、多くの優秀なボクサーを育ててきたが、

ボクサーのエディを育成した際、試合でエディの片目を失明させる試合を促してしまった過去を持ち、

そのトラウマから、ボクサーの身の安全を深慮するあまりに慎重な試合しか組まない上に、

不器用で説明が不足していたことからビッグチャンスを欲するボクサーたちに逃げられ続け、

その不器用さは家族にも波及し、実の娘ケイティとは音信不通になっていた。

元ボクサーであるエディは

今はフランキーのジムで雑務係として働くのだった。

 

最初フランキーは

マギーのトレーナーになることを拒んだものの、

次第に、毎日ジムに通い続けるマギーに感化され、

コーチングしはじめる。

その後、マギーはフランキーの指導により、

才能を着々と開花させていき、

試合で勝ち続けて評判になりはじめる。

 

あまりの強さから

階級を上げる事になったものの、

そのウェルター級で、

遂にイギリス・チャンピオンとのタイトルマッチにまでたどり着く。

この試合でアイルランド系カトリック教徒のフランキーは、

背中にゲール語で「モ・クシュラ」

書かれた緑色のガウンをマギーに贈るが、

マギーがその言葉の意味を尋ねても、

フランキーはただ言葉を濁すだけだった。

 

タイトルマッチの後も勝ち続け、

「モ・クシュラ」がマギーの代名詞ともなり出した頃、

フランキーは反則を使う危険な相手として

戦うことを避けてきたWBA女子ウェルター級チャンピオン、

『青い熊』ビリーとの試合を受けることを決める。

 

道中、マギーに再度「モ・クシュラ」の意味を聞かれるが、

答えは「この試合に勝ったら教える」という回答だった。

この100万ドルものビッグ・マッチは

マギーが優位に試合を運んだが、

ラウンド終了後にビリーが放った反則行為から、

コーナーにあった椅子に首を打ちつけ骨折し、

マギーは全身不随となる。

フランキーはやり場のない怒りと

自己嫌悪に苛まれ続け、

完治の見込みがないマギーは

家族に見放された事から人生に絶望し始める。

 

やがてマギーはフランキーに

安楽死の手助けを懇願するが、断られ、

自分で舌を噛み切り自殺を図ろうとする。

フランキーは苦しみ続ける実娘のようなマギーへの同情と、

宗教的なタブーとのはざまで苦悩したものの、

マギーの自死を手助けすることを決意する。

 

フランキーは最後に耳元で「モ・クシュラ」の本当の意味を語る。

「おまえは私の親愛なる者、おまえは私の血である。」

そしてフランキーは、マギーの人工呼吸器を止め、

アドレナリンを過剰投与し、姿を消した。

ネタバレ徹底考察

前半と後半で描かれることが違う、大きな2つのテーマ

今作の映画は、映画の前半と後半で

異なる2つのテーマが設定されている。

前半では、まるで「ロッキー」を彷彿とさせる、

ボクシングのチャンピオンを目指す努力の物語。

そして後半、物語は非常に重い

「尊厳死」というテーマにたどり着く。

今作の映画が「鬱映画」と

呼ばれる所以こそ、この部分にある。

 

光に向かって走り続ける女性が、

一瞬にして絶望に落とされ、

まるでジェットコースターのような

そのストーリーは観るもの全てに衝撃を与える。

 

前半のストーリー展開が半分以上も描かれていたのは、

後半のストーリーを最大限に生かすために

必要不可欠な脚本であったのではないかと考えている。

「物語感」を感じさせるナレーション要素

今作の映画では、一本を通してエディ役である

モーガン・フリーマンの語りによって進行する。

 

そして、その語りの相手は

フランキーの娘であるケイティに対してである。

彼の語りによって、これは「後日談」であることが

時折、鑑賞者に気づかされる。

 

こんな救いのないストーリーを

鑑賞するのにあたって、

このナレーションが

クッションの役割も果たしているだろう。

クリント・イーストウッドの作品の撮り方

今作の映画で、

人同士の会話のシーンにおいて、

「顔が半分影で隠れる」という演出が多数出てくる。

例えば、マギーがフランキーと「契約」を交わすシーンなど、

極めて重要であるシーンでこの演出が使われている。

 

「影」が落とされるシーンは、

決まって極めて重要な人生の分岐点が多く、

これから待つ過酷な道を示唆している演出であるとも考えられるのだ。

裏の主人公!?「デンジャー」という人物について

今作で度々現れる、

フランキーのジムに通う「デンジャー」というキャラ。

メインではマギーとフランキーの物語が描かれつつも、

水面下では、

デンジャーの物語もじわじわと進行していることがわかるだろう。

 

一度は高いモチベーションを持ち、

そしてジムでボコボコにされるという挫折を味わい、

最後にジムに戻ってくる。

 

そんなデンジャーのラストシーン、

顔には例の「影」がかかっているのである。

皮肉に描かれる、フランキーの職種と葛藤。

フランキーはジムの経営者でありながら、

ボクサーのトレーナーであり、

ボクサーを育てる天才であった。

そんなフランキーは自身の過去のトラウマから、

ボクサーたちに裏切られ続ける人生を歩んできたが、

そんな彼の職業はボクサーが試合中、

血を流した時のための「止血係(カットマン)」であった。

 

そんな「選手を大切にする気持ち」

逆行するような「試合を続けさせるための職業」を持っていた点も、

今作の彼の悲しみを煽るような設定であった。