【電気が使えないサバイバル】映画「サバイバルファミリー」ネタバレあらすじ考察

本記事では、
前半で、映画紹介&見どころレビュー
後半で、ネタバレ解説&徹底考察を行います。

サバイバルファミリー

2017年、矢口史靖監督、脚本の元制作された日本映画。

ある日突然、電気が使えなくなった世界での、

東京に住む一つの家族の物語。

上映時間は117分。

 

あらすじ

舞台は日本の東京。

ここに4人の家族である「鈴木家」が住んでいた。

ある日、朝起きると、いきなり電気が使えなくなっている。

電化製品はもちろん、「乾電池」「スマホ」等の

電気駆動の製品すべてが使えなくなる。

大混乱が巻き起こる世界で、家族はどう生きていくのか…。

 

出演役者

「鈴木家」の大黒柱「鈴木 義之」を演じるのが

「小日向文世」

 

母の「光恵」を演じる「深津絵里」

 

大学生の息子の「賢司」を演じる「泉澤祐希」

 

高校生の娘「結衣」を演じるのが「葵わかな」

 

見どころ「パンデミックと家族愛、2つのテーマの作品」

「電気」に頼り切った世界から電気が無くなる、

なんの変哲もない家族に巻き起こる

突如とした異変。

 

今作は間違いなく「パンデミック」のジャンルに

該当する作品であろうが、

主人公となるのは「鈴木家」という一つの家族だった。

 

いつも同じ屋根の下で暮らしているのに、

どこかバラバラな家族が、

今回の異変を通して一つになっていく描写が、

本作最大の見どころだろう。

 

サバイバルであるのに、

どこかコミカルに描かれているのも、

本作の魅力の一つとなっているだろう。

 

配信コンテンツ

「サバイバルファミリー」は今現在、

Amazonプライム、NETFLIX、dTV、等で配信されている。

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ネタバレあらすじ

舞台は日本の東京。

ここに4人の家族である「鈴木家」が住んでいた。

会社員の父「義之」

専業主婦の母「光恵」

大学2年の息子「賢司」

高校1年生の娘「結衣」

何の変哲もない4人家族であったが、

父は仕事ばかり、

息子は無口でパソコンばかり、

娘はスマホ依存症であり、

同じ屋根の下で暮らしているのに、

どこかバラバラな家族だった。

 

そんなある日、

朝起きると、いきなり電気が使えなくなっている。

電化製品はもちろん、「乾電池」「スマホ」等の

電気駆動の製品すべてが使えなくなる。

 

マンションの住民も不思議がって外に出てくるが、

全ての過程で起きているようだった。

会社に出社するも、仕事にならず、

各々は帰宅させられる。

蝋燭の火で夕食を食べ、

珍しく家族で星空を眺めるのだった。

 

しかし、翌日も、その次の日も、

一向に電気は戻らない。

一週間が過ぎた頃、

ついに痺れを切らした義之は、

母の実家のある鹿児島まで、

行くことを決意する。

 

娘の結衣はこれに反発していたが、

どうしようもない状況に頷くしかなかった。

自転車を漕ぎ、

家族は「空港」に向かうが、

飛行機も全てが止まってしまっていた。

 

ここで一家は更なる決断をする。

それは「自転車で大阪まで行く」

ということだった。

風のウワサで、

「大阪では電気が流れている」というウワサに

賭けた一家だった。

 

高速道路に自転車で乗ってみると、

なんとたくさんの人が徒歩や自転車で、

西へ西へと動いている。

その流れに乗り、

鈴木家も西へと歩みを進めるのだった。

 

最初は足りていた水や食料も、

一ヶ月を過ぎると手に入らなくなってきた。

通過するホームセンターで「車の精製水」「ペットフード」

食べて、気を紛らわしながら進む家族だった。




ついに大阪にたどり着く家族であったが、

なんと大阪も電気が止まり、

もぬけの殻となっていた。

絶望を抱えながらも、

生きるすべはもう一つしかなかった。

それは「自転車で鹿児島に向かうこと」だった。

 

岡山までたどり着いたある日、

空腹はとうに限界を超えていた。

すると目の前に豚が一匹現れる。

なんとか仕留め、

躊躇しながらも捌こうとしたとき、

豚の農場の持ち主である老人に止められるのだった。

老人は一軒家に一人で住みながらも、

完全な自給自足の生活を送っていた。

 

鈴木家は逃げた豚を捕まえることを条件に、

数日、老人の家にお世話になることとなる。

「このまま居てもいい」と老人から提案されるも、

鹿児島の家が心配だった家族は、

出発することを選択するのだった。

 

一家はどんどん西に進むが、

目の前に大きな壁が立ちはだかる。

それは大きな川を渡ることだった。

絶望しながらも、みんなで小さなイカダを作り上げ、

川を渡ろうとするも、

父の義之が流されてしまう。

涙に頬を濡らすも、

立ち止まっている暇など無い家族は

三人で歩き始めるのだった。

 

大きな線路に沿って長らく歩き続けるも、

夫との別れや疲れなどから、

母の光恵は憔悴しきってしまっていた。

そんな三人は、野犬と化した「元飼い犬」

襲われることとなる。

まさに襲われようとしたその時、

線路を何かが走ってくる。

それは「蒸気機関車」だった。

 

汽車に無事に乗せてもらえた三人は、

安心感に包まれながらも、

父のことを想う。

そんな時、窓の向こうに「発煙筒」の光が見える。

その姿は紛れもなく父「義之」だった。

 

家を出て「108日目」

四人はついに鹿児島の実家にたどり着く。

自給自足の生活を送れていた実家で面倒をみてもらうのだった。

 

家を出て「2年と126日後」

鈴木家は鹿児島で漁師の手伝いをしていた。

電気が無くても幸せな生活を送る

鈴木家の姿がそこにはあったのだった。

 

そんなある朝方、

義之は、何かの物音で目を覚ます。

音のなる倉庫に向かってみると、

「鳴っている」目覚まし時計が置いてあるのだった。

 

そして一斉に電気が復旧する。

いきなりの電気の復旧に戸惑いを隠せない

世界中の人々だった。

 

そして後日、

東京は徐々に復旧していった。

停電の正体は「大規模な太陽フレア」

「彗星の異常接近」であることとなっていた。

 

家族は東京に戻ったが、

以前のような冷めた家族ではなくなっていた。

母の作るお弁当を皆が持ち、

各々が出勤、登校していく。

 

そんなある日一通の手紙が届く。

それは鹿児島まで行く道中に撮ってもらった、

「機械式カメラ」での写真だった。

 

ネタバレ考察

脚本内容の絶妙なバランス

まず初めに、

今作の映画に対して「ツッコミを入れたい人」

今作を本心から楽しめないであろう。

リアリティという観点では

そこまで重要ではない作品となった。

 

それも含めた上で、

「災害」を描いた映画として鑑賞した時に、

ここまでに見やすい映画も少ないだろう。

暴力的な描写や、ショックな映像も少なく、

コミカルに描かれているのが今作の特徴で、

子供にも安心して見せることができる作品だろう。

 

今作は「災害」「コメディ」のバランスが非常に良い。

重すぎず、軽すぎず、

「自分であるならどうするか?」という

想像がしっかりでき、

更に「コメディ映画」としても鑑賞できる。

 

映画の持つ空気感や雰囲気のバランスが

非常にいい作品となっていたと感じた。

しかし今作には、

忘れてはならないテーマが、

もう一つある。

 

忘れてはならない「家族愛」というテーマ

プライドの高い仕事人間の父、

そして思春期真っただ中の子供たち、

心がバラバラである家族であると同時に、

「どこにでもいる家族」である。

 

そんな家族が「サバイバル」を通じて一致団結していく、

そんな心情の変化こそ、

今作で本当に伝えたかったテーマだろう。

 

当たり前であることがこれを濁らし、

当たり前でなくなった時に気が付く。

これは「家族愛」に限ったことではなく、

色々な「当たり前でなくなること」が詰まった

作品だっただろう。




隙間スキマに隠された、感動する演出

「サバイバル」や「コメディ」などの陰に隠れ、

今作で特に注目したのは、

細かな感動を煽る演出が多いことだった。

前述した「家族愛」も含め、

今作には数々の感動演出だ含まれているのだ。

・子どもの食料のために土下座する父

・水を盗まれるも追いかけてみると赤ちゃんのミルクのため。

・海外に居る孫を心配しているであろう岡山の老人。

・鈴木家を見送る老人の視線。

・顔が煤だらけになり、笑い合う車両内。

・復旧後に届く写真

これだけでもほんの一部であるくらい、

本作には細かな「感動要素」が含まれている。

 

これらの数々の演出こそが、

本作のメッセージ性を

引き上げるガソリンとなっていて、

「ただのコメディ映画」で

終わらせることのない要素となっているだろう。

 

そしてエンディング後、

東京の雑踏が音声として流れるが、

映画の始まりも思い出してほしい。

そこでも同じ、東京の雑踏の音で始まっているのだ。