「127時間」のネタバレ考察と感想【127時間、岩から手が抜けない…】

本記事は、映画「127時間」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。

鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。

127時間

2010年、ダニーボイル監督により制作された作品。

著登山家のアーロン・リー・ラルストンの実体験に基づき執筆された「奇跡の6日間」を原作として制作された。

岩の間に手を挟まれ、127時間を過ごした登山家の物語。

上映時間は94分。

あらすじ

舞台はアメリカ合衆国、登山家である「アーロン・リー・ラルストン」は、ユタ州のキャニオンランズ国立公園に登山に赴いていた。

まるで庭であるかのように、縦横無尽にクライミングを楽しむアーロンは道中、2人の女性を案内しつつ登山を楽しんでいた。

一人になり、狭い岩場の間を進んでいた時、上部から落ちてきた岩に手を挟まれ、身動きが取れなくなってしまう。

持ち物は僅かな水と食料、ライト、カメラ、ロープ、音楽プレイヤー、そして心許ない万能ツール。

アーロンの孤独の127時間が始まる…。

 

出演役者

今作の主演を務める

「アーロン・リー・ラルストン」を演じるのが

「ジェームズ・フランコ」

あの「スパイダーマン」でのレギュラー出演によってブレイクし、地位を築き上げたことで有名な俳優である。

それ以外にも無数の映画作品への出演を果たしていて、主にアクション作品が多いようだ。

 

道中に出会う二人の女性、「クリスティ」を演じる「ケイト・マーラ」

アメリカの中堅女優で、「アイアンマン」「オデッセイ」などのアクションやSF作品に出演している。

 

そして「ミーガン」を演じる「アンバー・タンブリン」

現在、映画監督デビューも果たす才能あふれる女優で、当時はパニックホラー、サスペンス作品などに出演していた。

ネタバレ考察と感想

極限状態の中で、物語が伝えたかったことは何だったのか?

今作の物語、何を隠そう紛れもない事実であることは物語を最後まで観た鑑賞者なら誰もがわかる事だろう。

それでは、本作の物語で伝えたかったことはどのようなことだったのだろうか?

まず、本作が制作にこぎつけるまでのストーリーであるが、原作となる「奇跡の6日間」を読んだ監督のダニー・ボイルは、本作の映画化に向けて4年間ものアプローチをし続けていた。

当初はアーロンの「ドキュメンタリー映画」としての映画化であったが、ボイルの希望により「ドラマ映画」としての制作が決まったのだった。

映画を一見してみると、監督の裁量により、ショッキングな描写が多い作風となっていたが、そんな極限状態の中で、度々アーロンの回想のようなシーンが展開されるのは印象深いだろう。

家族のことであったり、幼少期の記憶であったり、過去の恋人のことであったり、数時間前に会った女性たちのことであったり、はたまた、「幻覚」であったりと、「記憶」と「死」を結びつけることを想起させるような演出に写っていた。

これはアーロンの自伝であると同時に、「死」と対峙した時に現れる人間の深層心理を映像的に映し出すことを目的としていたと考えられる。

恐怖感を最大限に感じさせる様々な演出

今作の演出に感じる恐怖の種類であるが、これにはいくつかの種類がある。

まずは「痛み」

手が挟まれ、グロテスクな描写も多かった為、血の気が引く思いで鑑賞した人も多いはずだ。

そして「閉塞感」

両側が高い壁で阻まれ、手を挟まれ、そこから一歩も動くことができない。こんな閉鎖的な環境の中、繰り広げられる90分もの作品は、鑑賞者にリアルにこの閉塞感を伝えることとなる…。

さらに「死」の恐怖

物語の中核を成したこの感覚であるが、制限された食料や水分、そして気温変動などの環境に伴い、じわじわと襲い来る描写となった。

そして何よりも大きかったのが「孤独感」だろう。

叫んでも返事一つ帰ってこず、過去の記憶や幻覚を数多く見る描写が、この孤独の恐怖を物語っているだろう。

毎日、決まった時間に上空を周回する鷹に言及するアーロンは、「生きているもの」であることに希望を感じていたという描写にも見える。

また、ボイル監督独特の回想や幻覚の描写は、極めて狂気を匂わせるような演出となり、流石「トレインスポッティング」を手がけた監督であるという、実力を改めて感じさせられることとなる。

余談ではあるが、本作の公開に先駆けトロント国際映画祭で上映された際には、鑑賞中に気を失ったり発作を起こした観客が数名居たらしい。

アーロンを救った最大の道具とは…!?

僅かな食料、水、ビデオカメラ、ロープ、万能ツール、アーロンがこれらを岩の上に並べるシーンがあるだろう。

さながら「脱出ゲーム」を想起させるようなシーンとなったが、そのどれもが彼の生還に繋がる道具となっていたのだ。

水や食料はもちろん、ロープは体に巻き付け体温を保つ道具として使い、万能ツールも腕を切断する道具として利用していた。

そんな中でも、一際役に立っていた道具こそ「ビデオカメラ」であった。

彼が正気を失わずに生還することができた要因こそ、この道具にあったと言ってもいいだろう。

彼は「日記」と称し、毎日ビデオカメラで様子を記録していた。

そして出会った女性との動画を見返し、精神的支柱としていたのも事実だろう。

彼が彼自身であることを思い出させ、生還への道を切り開いた道具こそ、「ビデオカメラ」であった。

ちなみに、脱出後の去り際、切り落とした腕と岩を写真に収めるシーンは個人的になかなか好きなシーンである。




映画の冒頭に本質的な重要シーンが隠されていた!?

映画の冒頭、「起承転結」の「起」の部分であるが、アーロンが登山に出かける身支度を整えるシーンがあるだろう。

そんな何気ないシーンこそ、今作の映画の本質的なテーマを浮き彫りにさせるシーンの全てが詰まっていたのに気がついただろうか?

まずは「万能ツール」

映画における「フラグ」を立てるのに利用されたこのシーンでは、しっかりとした万能ツールを見つけることなくアーロンは出かけることとなる。

脱出時、ライトのオマケとして付いてきた切れ味の鈍いナイフを使って腕を切断することとなってしまった。

あの時、しっかりとした万能ツールを持っていれば、また違った結果になったのだろうか…?

「ボトルから溢れる水」

水道にボトルを突っ込み水を入れるシーン、

水道から水は出続け、ボトルから水が溢れるシーンを印象的に切り取っている。

あれだけ水分に苦しめられるのに、このシーンでは溢れ出る水が皮肉な描写に感じてしまう。

そして、妹からの電話を無視してしまうシーン。

岩の間1人取り残されたアーロンは、この電話を返さなかったことを何度も後悔することとなるのだ。

「欲望」という観点から映画を観てみる。

本作における主人公アーロンの戦い、それは「死」であり「孤独」であると同時に、「欲望」との戦いもリアルに描かれていた。

水をちびちびと飲みつつ、車内に残されたオレンジジュースの存在を思い出す。

ビールやコーラ、パーティを思い出し、唇を舐めるシーンはこちらまで喉が渇いてしまうシーンだろう。

そしてビデオカメラの映像を見つつ、自慰行為を行おうとするシーンなど、

様々な箇所で、欲望との戦いが繰り広げられる。

脱出後、泥水に顔を埋め、無我夢中で泥水を飲む描写、僕はこのシーンが本作最大の名シーンだと感じた。

結局、どこからどこまでがリアルだった?

事実に基づき制作された映画において、どこまでが脚色され、映画化されているか?

そんな話題はいつでも持ち上がってくるものである。

今作の「127時間」、実在するアーロン曰く、冒頭の2人の女性を秘密のプールに案内する脚本は無かったとされている。

岸壁下の天然プールのシーンにおいては「峡谷には常に危険が潜んでいる(そういう行為はしない)」とコメントを残しているそうだ。

そしてアーロンはこうも述べている。「残りの部分についてはドキュメンタリーに近いほど正確である」

実は彼、今現在でも彼は登山を続けており、右腕は義手となっている。

デップーがパロってる!?

今回の127時間が公開されたはるか後、世界中で大ヒットしたマーベル作品の「デッドプール」、実はこの作品中に127時間のパロディ要素がある。

作中に主人公であるデッドプールが「君たちは「127時間」を見たかな?」と発言するのだ。

そんなことからデッドプールのオフィシャルツイッターには127時間をパロディとしたプロモーションポスターも掲載されている。

また余談ではあるが、この「デッド・プール」を演じる「ライアン・レイノルズ」は別の映画「リミット」で、本作に似たシチュエーションの密室劇を演じている。

本作品が好きな人なら刺さる作品なので是非とも鑑賞してほしい。

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