本記事は、映画「リミット」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
[リミット]
2010年、ロドリゴ・コルテス監督によって製作された作品。
イラクのテロに巻き込まれ、監禁された一人の男の脱出劇。
上映時間は94分。
あらすじ
世界を行き来する国際運送業者「CRT」でトラックドライバーを生業とするポール・コンロイは、イラクのバアクーバ―でテロに巻きこまれ人質として捕らわれる。
小さな棺の中に閉じ込められ、それはどこかの砂漠に埋められていた。
限られた酸素の中、ポールの脱出劇が幕を開ける。
出演役者
本作の主人公ポールを演じるのが「ライアン・レイノルズ」
上映時間の94分の間、一人芝居を続けた演技力でも話題となった。
数え切れないほどの映画作品やテレビ番組に出演する俳優で、「デッド・プール」の主人公を演じているのも彼である。
テレビでは「Xファイルシリーズ」にも出演している。
本作の出演役者は漏れなく彼一人であり、それ以外では動画の女性や、声のみの出演である。
ネタバレ感想とあらすじ
狂気の密室スリラー作品、ここまでの「密室」は見たことない!?
物語の「起承転結」という概念がある映画カルチャーにおいて、ここまで徹底した「密室」を演じた作品は初めてだっただろう。
鑑賞者の人々は、脱出を鑑賞しながら、心のどこかで外の世界が描写としてあるのではないかと期待した人も居ただろう。
そんな期待を真正面からぶち折るように進む物語は、本作の評価において好き嫌いが色濃く分断される作風だっただろう。
日本の映画サイト「Filmarks(フィルマークス)」での評価は「3.0」と、あまり高くなかったのに対して、アメリカの「Rotten Tomatoes(ロッテン・トマト)」では85%もの人が支持する作品となった。
賛否両論がかなりしっかりと分断される作品になるだろうが、とりあえずこれだけは言えるのが「閉所恐怖症」の人々にとってここまでの「閲覧注意」の映画は存在しないということだ…。
棺の中で物語の「展開」を感じさせる斬新な演出の数々
こんな小さな箱の中でよく「映画」として90分ものストーリーを展開できたものだ…という不思議な映画ではあるが、物語を「想像」させ、鑑賞者を飽きさせない仕掛けが数多く存在したのも事実である。
まずは「声」の存在だろう。
主人公は物語の過程の中で幾人もの人間に電話をかけることとなるが、そんな人物たちの人間性の構築を鑑賞者に委ねることで物語の展開をしていったことが驚きだった。
電話の相手は大きく三人、妻である「リンダ」、テロ対策の「ブレナー」、そして犯人である。
それ以外にも数々の人間と電話で会話をするが、事務的処置であったりと、人間特有の温かさを感じるキャラクター性ではなかっただろう。
ポールを閉じ込めた全ての元凶である犯人にさえも、どこか安心感を覚えてしまうほどの極限状態を感じることができるだろう。
そして、棺に残された「道具」の数々。
このシーンから、今度は鑑賞者たちに「自分ならどう脱出するか?」を考えさせる憎い演出としても機能し、ポールの道具はライト関係、ジッポライター、ナイフ、携帯電話、そして持ち込みの酒など、かなり限られた持ち物であるのも想像を膨らませるツールとなっている。
「携帯電話」ばかりに頼りきりな主人公の姿を見て、鑑賞者の中には「自分ならこう脱出する」と想像した人も多いのではないだろうか?
それこそが本作の意図する術中であるだろう。
現に本作の映画タイトルをGoogleの検索欄に入れると「リミット イライラ」などの予想変換も出てくるのだ…。
また、数は少ないが「現象」も箱の中では起こっている。
大きくは二つ、「蛇の出現」と「棺の破損」である。
前者の「蛇の出現」では、まさに「閉所恐怖症」ではない人々も面食らってしまうシーンだったのではないだろうか?
主人公ポールのパニックを煽る要素であると同時に、「生物」というものに対しての温かさを感じてしまうのも面白い。
タイトルである「リミット」の意味とは?
棺の中で終始物語が展開される本作、タイトルは「リミット」で指し示すところの本作の「時間制限」であるが、そんな時間制限が三つ仕掛けられていた脚本もハラハラさせられる要素となっていた。
まずは「犯人による時間指定」
余計を着用していたポールは初めての犯人との通話で、暦による「時間制限」をかけられた。
次に「酸素の時間制限」
砂漠に埋められた棺の中で酸素は限られた量しか供給されず、後半にもなるとポールは息が苦しいことや暑いことを訴え始める。
また持っていたジッポライターの「燃焼」でも酸素は消費し、不安を煽る大きな要素の一つでもあるだろう。
そして最後の一つの「時間制限」こそが、本作の重大なテーマにもなっていた。
アメリカ軍に殺されたポールと「拉致監禁」へのアンチテーゼ
前項で記述した「時間制限」について、その最後の一つが「棺の破損」である。
これが生まれたきっかけが、アメリカ軍による爆撃であるのがまた皮肉な演出となっていた。
物語の終わり方からしてポールは死亡したと考えるのが妥当であるが、ポールの直接的死因となったのが棺の破損による砂の入り込みであることは明白で、時間があれば助かるはずだったポールの命はアメリカ軍に殺されたと考えても不思議ではない。
ポールを愛しているリンダも「CRT社」による「ポールの不倫の捏造」が伝われば、後腐れなくポールを諦めた人生を歩みだすだろう。
ポール自身の存在証明を消し去ることこそ、本作最大のテーマとして機能していた。
会社の責任逃れに始まり、助けることに関して利害を考えたアメリカ政府へのアンチテーゼ描写であり、作中でも語られる「拉致の生存率2割」については、リアルの世界でも紛れもない事実だった。
最後の最後に動き出したアメリカ政府ではあったが、これのきっかけとしても説明が付く。
それが「Youtubeの4万7千回再生」だろう。
世界的に認知された動画再生サイトでのアメリカ政府が張られるレッテルは計り知れなく、これを受けて政府が救出に乗り出したという考察もできる。
今にも死にそうなポールに対して淡々と事務的処理をこなし、法的材料をかき集める「CRT社」の闇の深さも現代社会に対するアンチテーゼとして機能していた。
「鬱映画」としての本作の立ち位置
物語は完全なるバッドエンドの作品であるが、オチではB級感爆発のエンドにある種の「突き抜けた感」を感じることもできる。
作中に語られる「マーク・ホワイト」という人物、ポールは「彼が死んでいる」と伝えられるが、実はリアルタイムで棺に閉じ込められていたというオチである。
このあまりのチープさには、本作を完全なる「鬱映画」として見れなくなってしまうほどの衝撃が備わっていて、追い打ちをかけるかのように流れる明るいエンディングも踏まえて、どこか不思議な空気感となった作品だった。
そんな作風が日本ではあまり受け入れられず、低評価への直接的要因としてレビューが多いのも事実である。
名画と言われる「鬱映画」は数多くあるが、そんな意味で本作の「鬱映画」としての立ち位置はどこか特殊なものとなっていた。
しかしよくよく考えてみると「密室」をテーマにしたスリラー作品は「CUBE」や「SAWシリーズ」を筆頭に数多くあるが、どれも賛否両論が多い作品が多いので、好きな人は自信をもって好きと言っていい作品だろう。
中でも本作が好きだった人であれば、この「127時間」は性癖に刺さる面白さを見せてくれる。
私事になるが、僕はこんな作品たち…大好物である。