本記事は、映画「エリザベス〜狂気のオカルティズム〜」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
エリザベス〜狂気のオカルティズム〜
2017年、サラ・ウォーカー監督によって制作されたドキュメンタリー映画。
実際に起きた「エリザベス・スマート誘拐事件」の全貌を描いたドキュメンタリー映画作品。
上映時間は87分。
あらすじ
とある夜、14歳のエリザベス・スマートは寝室に侵入した男にナイフを突きつけられそのまま連れ去られてしまう。
森の中を歩かされ、目が覚めると足首にはワイヤーが巻かれているのだった…。
出演役者
本作の主人公であるエリザベスを演じるのが、「アラナ・ボーデン」
現代のアメリカを牽引する若き女優。
映画作品にはあまり出演が無いが、シーズンモノの洋画ドラマやアメリカでのTV番組への出演が目立つ女優である。
TwitterやInstagramにて、勢力的に活動している印象が強い。
誘拐事件の首謀者であるブライアン・ミッチェルを演じたのが「スキート・ウールリッチ」
御歳51歳にもなるアメリカのベテラン俳優で、日本ではあまり名の知られない映画や、TV番組、ドラマ等へのキャスティングが多い俳優である。
ブライアンの内縁の妻であるワンダ・バージーを演じたのが、「ディアドレ・ラヴジョイ」
こちらも御歳58歳を迎える大女優で、アクション、サスペンス、恋愛など、多彩なジャンルに出演する女優である。
尚、本作には事件の渦中にいたエリザベス・スマート本人も出演している。
ネタバレ感想と考察
実際にあったおぞましい事件をドキュメンタリー形式で描く。
「事実に基づいた」
そんな単語が見える映画作品がこの世にも多数ある中で、本作の事件は一人の少女の9ヶ月間の誘拐を描いた、大変おぞましい事件がテーマとなっている。
そんな事件を題材に映画を書くだけでもなかなかのインパクトがある中、本作の一番特記すべき点はなんと言っても、「ドキュメンタリー形式」の映画である点であるだろう。
役者による演技が演出される作中でも、チャプター毎にわけられ、エリザベス・スマート本人による当時の心境が綴られるとても特殊な作りとなっている。
実際に事件の渦中にいた被害者少女からのリアルな生の心境を肌で感じながら見進める本作は、今までに感じたことの無い寒気を覚える構成となっていた。
今も尚、世の中で起こり続ける「誘拐事件」、そんな現代に警笛を鳴らすようなエリザベス自身の映画出演はとても勇気のいるものだっただろう。
兎にも角にも、彼女の英断を称えることから始めたい。
「エリザベス・スマート誘拐事件」の真相とは!?
「エリザベス・スマート誘拐事件」
2002年6月5日、アメリカ・ユタ州、ソルトレイクシティで
14歳のエリザベス・スマートが
9歳の妹と就寝中にナイフで脅され、
誘拐される事件が発生した。
事件当時、両親は家には居なく、
無事だった妹が
3時間後に親に話して発覚した。
翌朝、父親がテレビで犯人に呼びかけ、
全米で大きく取り上げられた。
犯人はエリザベスを森の中の家に連れ込み、
白装束に着替えさせ、
結婚を宣言する儀式を行ない、
そのままレイプする。
それから毎日レイプされ、
酒と薬を飲まされ、
一夫多妻婚を強制された。
大規模な捜索を行うも見つからず、
妹の証言から、その男の似顔絵を
テレビで放映。
その後、犯人の親族からの通報で
男の本名がわかり、指名手配された。
事件発生から9か月後の2003年3月12日、
同じ番組で
似顔絵を見た人からの通報によって
犯人夫婦と変装したエリザベスを発見。
夫ブライアンには、
誘拐、窃盗、婦女暴行などの容疑で
2011年に終身刑が言い渡され、
妻のワンダには懲役15年の刑が下された。
実はブライアンは精神障害を患っており、
幼女強姦の前科も持っていた。
なかなかに残酷な事件であるが、アメリカでは残念なことにこうした事件は多い。
作中でも描かれているが、こうした誘拐事件の被害者の生存率は、なんと2%ほどであることが更に衝撃的だろう。
昨今の映画にも、こうした事実に基づく誘拐事件を取り扱った作品が増えつつあり、こちらのアメリカ映画の「ガール・イン・ザ・ボックス」も誘拐事件を取り扱った作品であった。
こちらの女性はなんと7年間も監禁され、加害者男性に「完全洗脳」をされてしまったレアケースな事件としても名高い。
こちらの作品の方がいささか刺激的な描写が多く、映画としてダークな世界観で描かれている。
フィクション一切ナシ!心震える描写をリアルで訴えかける作品。
ドキュメンタリー映画としての見方が主となる本作では、エリザベス本人が当時の心境を語りながら進む物語の脚本だけあって、フィクション要素が一切無いことが本作の特殊な点でもあるだろう。
チャプターの合間合間に、エリザベス本人の当時の心境がつらつらと語られるが、その一つひとつの言葉の重みが心を抉るような力があるのが、本作最大の見どころと言ってもいい。
パジャマ姿で家から連れ出され、外に持ち出した道具は靴と安全ピン一本のみ。
そんな家から持ち出した安全ピンにすら、「家族の温かみ」を感じてしまう語りのシーンには、本当に心が抉られる感覚を覚える鑑賞者も多いだろう。
更に「叫びたくても叫べない」「逃げたくても逃げれない」といった、通常、映画において鑑賞者が考えゆるありとあらゆる想像や対抗策、脚本への「ツッコミ」などを、14歳の少女の観点から「できない理由」を解明していく作風は非常に斬新であり、鑑賞者の心を打ち砕くような作風に感じてしまった。
ドキュメンタリーとしての見方と映画作品としての在り方を上手く組み合わせた、臨場感がありつつもリアルさも感じるこれまでに無い作風にだった。
他の誘拐事件と違った、「宗教観」が含まれた事件。
数ある誘拐事件の多くが、精神障害を患う犯人の犯行が大体のパターンであるが、本作で描かれる犯人像では「宗教観」に基づいて行動を犯す犯人であったのも衝撃的な事実だっただろう。
未成年であるエリザベスの誘拐、レイプ、その他すべての行為にそれらしい理由を付け、犯人であるブライアン自身に「悪いことをしている」という自覚が薄かったもの戦慄の事実であろう。
犯行の「理由付け」としてエリザベスに被害を加えていたブライアンであったが、裏を返せば、エリザベス自身も、この「胡散臭い」犯人の姿によって反抗心を忘れることが無かったのかもしれない。
彼の感性を受け入れそれに従うことによって、暴力を振るわれずに生きながらえていくことができたのだ。
彼女自身が、脱出時まで心を屈服させることなく、ドキュメンタリー作品にて当時の心境を語るにまで回復できたのも不幸中の幸いだっただろう。
一方で、前述した「ガール・イン・ザ・ボックス」での被害者である女性は犯人に「奴隷扱い」を強要され、「完全洗脳」されるにまで至ってしまっている。