「セッション」のネタバレ感想と考察【ジャズドラマーを描いた二重構造の衝撃作】

  • 2021年5月6日
  • 映画
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本記事は、映画「セッション」のネタバレを含んだ感想と考察記事です。

鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。

セッション

2014年、デイミアン・チャゼル脚本監督の元制作されたドラマ映画。

これまでにも「10クローバーフィールドレーン」「ラ・ラ・ランド」を世に送り出した監督である。

第87回アカデミー賞の5部門にノミネートされた作品でもある。

上映時間は106分。

あらすじ

舞台はアメリカ、アンドリュー・ニーマンはプロドラマーを目指し音楽学校に通っている19歳。

「バディ・リッチ」のようなドラマーになりたいと夢を抱き練習を続けるが、才能は開花しないままだった。

ある日、いつものように一人で練習していると、鬼のような特訓で有名な指導者であるテレンス・フレッチャーと出会い、フレッチャーの楽団に引き抜かれることとなる。

その日から、これまで以上の「地獄」が待ち受けていた…。

出演役者

本作の主人公ニーマンを演じるのが「マイルズ・テラー」

アメリカの俳優であり、本作を皮切りに数々の作品へ出演する有名俳優となる。

主にヒューマンドラマやアクション作品に出演し、「ファンタスティックフォー」シリーズなどに出演する。

 

本作のもう一人の主人公、フレッチャーを演じるのが「J・K・シモンズ

これまでにも数々の有名作品に出演するベテラン俳優であり、どんなジャンルの映画にも出演する実力派である。

あの「スパイダーマン」シリーズ「J・ジョナ・ジェイムソン」役でも知られ、セッション後の作品でも、同じくチャゼル監督の作品となった「ラ・ラ・ランド」にも出演している。

ネタバレ感想と考察

全く新しいジャンルを開拓した衝撃作品

本作品、アクションでもホラーでもなく、純粋な「ヒューマンドラマ」として世に放たれた作品であるが、ショッキングな描写の多いホラー映画のような恐怖アクション映画のような激しさを纏った作品である。

本作の核ともなるプロットして設定されたのが「鬼教官」であり、そんな教官と生徒の切磋琢磨を描いた作風に衝撃を受ける作品となった。

学生時代、「部活」に勤しんでいた皆さんはこんな経験をしたことがある人も居るのではないだろうか?

本作のフレッチャーのキャラクター性は、本作の監督であるデイミアン・チャゼル自身が学生時代所属していたジャズバンドでの経験を元に作られたキャラクターであり、そういった観点から言えばある種のノンフィクションなのかもしれない。

「鬼教官」をテーマとした作品は映画でも決して多いジャンルではなく、本作以外に思い当たる作品と言えば、スタンリー・キューブリック監督による「フルメタルジャケット」くらいなのではないだろうか?

こちらの作品の世界観は「アメリカ海軍」であり、まるでフレッチャーのような暴言飛び交うキャラクター性に、思わず「キャラ被り」を意識してしまうほどである。

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怒涛の「起承転結」、作品のスピード感。

ジャンルが「ヒューマンドラマ」であるのにも関わらず、まったりとした描写が展開されない作風の仕掛けはどうなっているのだろうか?

その答えこそ、作品の「スピード感」に隠されているだろう。

めくるめく怒涛の「起承転結」、そしてフレッチャーの濃すぎるキャラクター性こそが本作における作品の魅せ方の中心となり、彼のキャラクターの「静」と「動」こそがこのスピード感の秘訣であると感じたのだ。

最初は一見温和なキャラクターに見えたフレッチャー、最初の練習風景において、その化けの皮が剥がれることとなる。

練習時の彼の激高する姿と暴言の数々、それに対し、少女と触れ合う姿、そして繊細なメロディを奏でる姿とのギャップこそが、その「静と動」を現す描写となっていたが、そんな過激な練習に耐えつつもニーマンは「主奏者」の地位を確立していき、フレッチャーにも一目を置いている立ち振る舞いが伺えるだろう。

本作の在り方は、ニーマンとフレッチャーの関係性の物語であると同時に、起承転結の中で描かれるニーマン自身の成長物語でもあるのだ。

リズムを題材とする作品なだけあって、ドラムソロの音源は幅広く使われ、そんな作中音響、フレッチャーの激しい言動、ニーマンの血の滲む努力などの影響もあり、作品の「スピード感」を加速させる効果を生みだしていた。

余談ではあるが、「トレインスポッティング」でも有名なダニー・ボイル監督の描くショッキングな描写にも、同じようなスピード感が感じられる。




二重構造の衝撃のラスト

怒涛の展開で物語が進む中、「衝撃のラスト」のワードが作品のジャケットでも踊る本作であるが、ラストの20分はその言葉を裏切らないようなラストとなっていた。

数ある映画の中でも「衝撃のラスト」を謳う作品は多々あるが、本作のラストの脚本では、今まで描かれたことが無かった「二重構造のラスト」であった点も特徴的だっただろう。

作品の中でフレッチャーは、かくしも「熱血鬼教官」としての地位を確立していったが、そんなキャラクターを崩壊させるキャラクターへと変貌を遂げるような描写がある。

それが「パワハラをタレこんだニーマンへの逆襲」のパートである。

これまでの「指導者」としての地位を失ったフレッチャーは、ここで初めて「一人の人間」としてニーマンへの逆襲を開始するのである。

そんな、フレッチャーのキャラクターの入れ替わりこそが本作一度目のどんでん返しである。

それから5分もたたない間に、今度はニーマンに変化が訪れる。

これまでフレッチャーに歯向かうことが一切無かったニーマンが、「指揮者」を無視して演奏を始め、演奏している間のフレッチャーを睨みつけるような仕草からも、それが「反抗」であることは伝わってくるだろう。

フレッチャーに対して初めての「反抗」を見せた、ニーマンの成長と人間性の変化こそが二度目のどんでん返しとなっていた。

物語のラストのドラムソロで、二人はまた「指導者と生徒」の関係に戻る。

パンチの効いたどんでん返しを二度も繰り返し、着いたこのシーンを観れば、本作がアカデミー賞にノミネートされるのも頷けてしまう。

ニーマンの味のある人間性と努力

映画を通して、フレッチャーの横暴な言動に振り回されっぱなしの作品ではあるが、ニーマンもなかなかにクセの強いキャラクターだったことは、鑑賞者なら気が付いたであろう。

ドラムへの探求心は人一倍強く、その高いプライドと青臭さは、フレッチャーにも負けないほどの強烈な匂いを放っていた。

フレッチャーの指導によって涙を流したり、主奏者に成り代わり、一人悪い笑みを浮かべていたり、血豆をも潰し、大量の血を流したり、一つの作品の中で、これまでの「喜怒哀楽」を見せつけるキャラクターは、実は相当に珍しい立ち位置である。

喜怒哀楽の「怒」しか見せないフレッチャーに対して、ここまでに感情豊かなキャラクターが真剣にぶつかっていく姿に、作品全体としてのキャラクターバランスが絶妙に保たれていた要因にもなっていた。

また、ニーマンの最大の魅力として推したいのが「一つのことに夢中になる」ということである。

ドラムの練習を理由に彼女とも別れ、親戚等が集まる食事会を見ても、彼のドラムへの探求心とプライドが高いことが伺えるだろう。

鑑賞者の中には、ここまで夢中で取り組める何かがあることに一種の「羨ましさ」を感じてしまう人も多かったのではないだろうか?

仕事でも趣味でも、何かに集中して取り組んでみたいとき、この作品はモチベーションを上げるツールとしても機能し、バイブルとして生きてくるとさえ思っている。

余談ではあるが、本作の主人公ニーマンを演じたマイルズ・テラーはジャズドラマーを演じるため、2か月間毎日3~4時間ジャズドラムの練習を続け、作中での演奏はもちろん本物であり、手からの出血はなんとマイルズ本人のものである。

ニーマンを演じたテラー、そしてフレッチャーを演じたJ・K・シモンズの圧倒的すぎる演技力には盛大な拍手を送りたい。