本記事は、映画「プレステージ」のネタバレを含んだ感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
プレステージ
2006年、クリストファー・ノーラン監督によって製作された作品。
過去の因縁に縛られた、二人のマジシャンの戦いを描いた物語。
上映時間は128分。
あらすじ
舞台は19世紀末のイギリス、ロンドン。
マジシャンであるボーデンはライバルのアンジャーの瞬間移動マジックのタネを調べるため、マジックの最中に舞台下に侵入する。
瞬間移動するかに見えたボーデンであったが、隠された落とし穴に落下し、水槽の中に落とされてしまう。
水槽の中でもがき苦しむボーデンはそのまま死亡し、ただ一人の目撃者となったアンジャーは、ボーデンの殺人容疑で逮捕されてしまうのだった…。
そして物語は過去に遡る…。
出演役者
本作の主人公であるボーデンを演じるのが「クリスチャン・ベール」
言わずも知れた、あの「バットマン」シリーズの主演であり、「ダークナイト」をはじめ、数々の作品で脚光を浴びた。
その「ダークナイト」の監督もクリストファー・ノーランであり、本作へのキャスティングもそれが関係しているような印象を受けるだろう。
本作のもう一人の主人公、アンジャーを演じるのが「ヒュー・ジャックマン」
オーストラリア出身の俳優であり、「X-MEN」シリーズのウルヴァリンを演じていることでも有名で、それ以外でも「グレイテスト・ショーマン」などの数々の有名作品で主演を演じている。
二人の師匠であるマジシャン、カッターを演じるのが「マイケル・ケイン」
1950年代から、数々の映画作品に出演し続けた大御所俳優。
クリストファー・ノーランの監督の有名作品にはほとんど出演していると言ってもいい。
「インセプション」「インターステラー」「ダンケルク」「テネット」、そして「ダークナイト」シリーズなどに出演している。
それ以外にも、伏線が重要となるミステリー作品への出演が多く、中でも「アサイラム」はとても面白い作品だった。
本作におけるキーマン的キャラクター、二コラ・テスラを演じるのが「デヴィット・ボウイ」
なんと2016年に逝去した世界的ミュージシャン、デヴィット・ボウイも役者として本作に出演している。
本作以外でも、あの有名な「戦場のメリークリスマス」を初めとした、数々の映画作品に出演している。
ネタバレ感想と考察
ノーラン監督の真骨頂!難解な時系列が印象的な作品!
クリストファー・ノーラン監督と言えば、あの「ダークナイト」や「インター・ステラー」を世に放ったことでも有名な映画監督であるが、その難解な時系列の作風が有名だろう。
本作「プレステージ」でも、彼の独特な作品構成は100%発揮される作風となっていた。
まず映画冒頭、本来なら「オチ」であるはずの、「ボーデンが水槽の落ちるシーン」これをしょっぱなから映画の描写として組み込んでいる。
鑑賞者の皆さんはわけも分からず、見始めていたのではないだろうか?
この冒頭のシーンで描かれる「ボーデンの死」以降、2時間にわたり「過去の話」が展開されていく作品構成は、さすがノーラン監督といったところだろう。
ボーデンの死について、いろいろな憶測だけで話は進み、新たな謎が解明されるたびに、「冒頭のシーン」のピースをひとつづつはめ込む鑑賞方法はとても面白いものだった。
振り返ってみれば、複製されたいくつものシルクハットやテスラの電流装置、そしてカッターによる「マジックのパート」の話など、映画の核と言ってもいい描写がこの冒頭ですべて描かれていることもわかる。
限られた情報の中から、鑑賞者たちを「想像」させ、正解へと導く思考の操り方はいつ見ても素晴らしい脚本となっていた。
半面、右も左もわからぬままに展開されていく物語に、中盤まで退屈に感じてしまう鑑賞者も居ることだろう。
映画を「考えて鑑賞する」ことに関して、良くも悪くも、彼の右に出る者はいない。
ノーラン監督の有名作の一つで「メメント」という作品では、「チャプターごとに物語が遡られていく」という、大変難解なシステムの映画となっていたが、これも腰を据えて鑑賞するに値する作品なので是非とも鑑賞してほしい。
物語の肝は「マジックで勝つ」ではなく「マジックのタネを探す」…営業的マジック紛争!!
本作品を他人に紹介するにあたり、「二人の奇術師の騙し合い」と言えばとてもワクワクするキャッチコピーに感じ取れるだろうが、フタを開けてみると、本作のプロットは「二人の奇術師の駆け引き」といったほうがいいのかもしれない。
自分で新たなマジックを開発することが常となっていたこの時代において、新たな「マジックのタネ」を模索し、また「相手のタネを暴く」という脚本は面白いものとなっていた。
演出の魅せ方に長けるアンジャー、そしてマジックの考案に長けるボーデン、正反対の二人のキャラクターによる営業的マジック紛争こそが本作のプロットとなっていたのだ。
そして二人の思惑は実在した科学者「二コラ・テスラ」へと飛び火してく…。
本作の二人のキャラクター、どちらもがいいところ悪いところが一長一短であり、映画における「悪役」的立場の人間が存在しない立ち位置の設定も斬新な設定であった。
「双子」という特性を生かして、アンジャーを煙に巻こうとするボーデン、そして妻を奪われたアンジャーのボーデンに対するマナー違反とも言える逆襲の数々。
そんな心理的描写をも「マジック」に反映させた新しい作品となっていた。
拳銃によって指を喪失させたり相方を生き埋めにしたりと、心理戦だけではなく物理攻撃の描写もあるのがその象徴となっているだろう。
物語をぶっ壊す、本物の「予測できない展開」
「ラストでの大どんでん返し」と言えば、ノーランはいつでも期待を裏切ることが無い作品を作り上げてくれるが、今回は大きく二つに分けて「タネ」が仕込まれていた。
まず最初は「電流装置による複製技術」だろう。
前置きとして、2021年の今現在、生物やモノを複製する装置はもちろん存在していない。
そんな中で、あくまでも実際にあった世界観で繰り広げられる「複製」というオチは、いい意味で鑑賞者を裏切り、物語を無理やり切り開くインパクトを持っていた。
皆が「現実」と認識して鑑賞していた中で、今だ開発されることのない技術には、正直に言って本作の評価を真っ二つに分断させるほどの仕掛けだったと言ってもいい。
しかしこんな展開、誰が予想できただろう?
映画作品としてノーラン監督は、やはり期待を裏切らない作品を作り上げてくれる。
そしてもう一つが、ボーデンの「ドッペルゲンガーというオチ」である。
これもなかなのインパクトと、強烈な力を持った展開方法となっていたのではないだろうか?
映画中に存在する観客を含め、鑑賞者が思う「まさかそんなはずが…」があっさりと実現されてしまっている。
物語のタネは予測できる反中であるうえで、あえて予測を裏切る結果に衝撃を受けてしまった。
一方で、「リアルな世界」で絵描かれていた世界であったが、そんなSFファンタジーチックなオチに面白くないと感じてしまった鑑賞者も居るだろうが、そこは目を瞑るしかないだろう…笑。
2人のボーデンによる伏線の数々。
物語中、ありとあらゆる伏線が張り巡らされていたが、中でも2人のボーデンによる伏線の張り方はとても絶妙なものとなっていた。
ボーデンが2人存在することは、物語の中盤辺りで明らかになるタネであるが、実はこれが映画の始まりからずっと2人による入れ替わりが行われているという点においては衝撃的要素であった。
ボーデンが紐の結び方をしくじりアンジャーの妻を死に追いやってしまっていたが、葬式時に立ち会ったボーデンは「紐を結んでいないボーデン」である。
証拠に、アンジャーに紐の結び方を問われた際「わからない」と回答しているのだ。
それ以外にも、サラとの出会いの際、いつの間にか部屋に入っているのも2人のトリックであったり、「銃弾掴み」で指を失った後、再出血するシーンでは「似せるためにもう1人が指を詰めた」と考えていいだろう。
また、家を購入しサラに引き渡すシーンでは、「気が変わった」との理由だけで家を購入している。
キャラクター同士の些細なやり取りにも、重要な伏線が貼られていることがとても面白かった。
そして1番の謎、「2人のボーデンは複製人間だったのか?」という点である。
これに関しては言及されることなく物語は幕を閉じるが、どちらの説もしっくりくるような上手い作りとなっている。
まず初めに「複製人間説」であるが、作中に登場するニコラ・テスラは、「別の人間にも同じ装置を作った」という発言がある。
更には、マジックのタネを聞かれた際、「テスラ」というメモを渡していることからもこの説が最も有効であるが、「タネを知っていれば、そもそもアンジャーのタネもわかっているはず」という矛盾点が出てくる。
こればかりは鑑賞者の判断に委ねられている内容であり、考察のしがいがある題材となっている。
本映画においてはこれ以外にも、一本のブログに纏めるには説明しきれないほどの伏線や設定が数多く練りこまれている。
ノーラン監督の作品の醍醐味は「二度目がさらに面白いこと」がどの作品でも当てはまるので、本作の二度目の鑑賞がより楽しめる造りとなっている。