本記事は、映画「イン・ザ・トール・グラス」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
イン・ザ・トール・グラス -狂気の迷路-
2019年、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督によって制作された作品。
背の高い草むらの迷路に迷い込んだ人々の脱出劇を描く物語で、原作はスティーヴン・キングの同名小説。
上映時間は101分。
あらすじ
車で移動する2人の男女、ベッキーとカル。
広大な農道の傍らにたまたま車を停めると、横の草むらに入り込んだ少年の助けを呼ぶ声が聞こえてきた。
「何日間もここに居る」と語る少年を助けるために、2人は草むらの中に入っていくが、何故か出ることができない。
同じく草むらの中で遭難する家族と出会い、出口を探し始めるが…。
出演役者
本作のメインキャラクターのベッキーを演じるのが「ライズラ・デ・オリヴェイラ」
カナダ出身の女優で、本作品以外に出演している作品は少なく、ホラー作品やサスペンス作品によく出演しているようだ。
そして本作のもう一人のメインキャラクター、カルを演じるのが「エイヴリー・ホワイテッド」
本作品以外に出演している映画作品はヒットしなかった。
本作の最後のメインキャラクター、トラヴィスを演じるのが「ハリソン・ギルバートソン」
オーストラリア出身の俳優で、主にホラー作品やスリラー作品によく出演している。
映画序盤では、「サブキャラクター」のような立ち回りであったが、映画が進むにつれて主人公へと変貌を遂げる、非常に珍しいキャラクターを演じていた。
ネタバレ感想と考察
怒涛の「主人公入れ替わりシステム」の作品
本映画を鑑賞するにあたって最大の映画構成の見どころして挙げられるのが、間違いなく「主人公入れ替わりシステム」だろう。
最初は物語に一切登場さえしなかった、ベッキーのボーイフレンドであるトラヴィスが、物語の中盤から一気に主人公的キャラクターへと変貌を遂げる、非常に珍しい構成の作品となっていた。
本映画の元となる小説は2012年にあの「スティーヴン・キング」が描いた同名小説がプロットとなっているが、キングの描く物語はどの作品でも、いわゆる「一般的な脚本構成」が通用しない、トリッキーな作品が多い。
さらに言えば、彼の描く物語は「身内の中で起こる惨劇」が多く、本作も全体を俯瞰してみれば「身内の物語」であり、キングらしい作品に仕上がっていたと感じるだろう。
物語の序盤で、仲良く同じ車に同乗するベッキーとカル、ベッキーは妊娠していて、幸せそうに遠く離れた土地に車を走らせるシーンから物語は始まる。
そう誰が観てもベッキーとカルは「幸せカップル」にしか見えない。
しかし本来ではすべてが真逆、「妊娠した子供を養子として出すために遠くの家に向かう」というダークな脚本であり、これが言葉では一切言及されていないのも本作の重要な伏線の一つだった。
物語は、カルがベッキーの「兄」であることが判明してから、本来の彼氏であるトラヴィスの満を持しての登場となるわけだが、主人公である彼が登場するのは、なんと映画が始まって30分後の話である。
家庭内での人間模様を描くにあたって、この「主人公登場」までのラグが、人間関係的な「闇の部分」を引き立たせる最大の要因となっていたのだ。
人が心霊的恐怖に巻き込まれる脚本では、それ以外でも「人間関係の闇」が同時に描かれる脚本のホラー作品は少なくはない。
まさかのSF要素!!「無限ループ」って怖いよね…。
物語を見進めていくと、まず最初に草むらに侵入したのがフンボルト家の一家であり、次にベッキーとカルが侵入する。
そしてトラヴィスが草むらに入り、「数珠繋ぎ」的に恐怖の連鎖に巻き込む物語であるかのように見えているが、本質は全く違っていることに何より驚いてしまった。
本映画ではこの、「フンボルト家」「ベッキーとカル」「トラヴィス」の三チームに世界線をループさせる、「SF要素」も盛り込まれているのだ。
他人と出会うことが無いまま、草むらの中を各々が彷徨う中で「違う世界線の知り合い」に出会ってしまうことが物語をより難解で複雑にしていた要素でもある。
このあたりから物語に対する「理解」を諦めてしまった人も多いのではないだろうか?
草むらの中はいわゆる「異世界」であり、数々の世界線が混同する世界であると考えられる。
そのど真ん中に鎮座するのが「大きな岩」であり、本作の惨劇の諸悪の根源はコイツであると考えていいだろう。
次項で物語の難解な脚本や岩の存在に触れていこうと思う。
あの「大きな岩」の正体は?
本映画のホラー要素の核であり、物語を難解な「SF作品」に仕立て上げてしまった根源こそ、この「岩」の存在であるが、コイツの正体は一体何だったのだろうか?
映画というカルチャーにおいて「鑑賞者の想像に任せる脚本」が主となるので、100%の正解は無いが、この岩の伝えたかったメッセージは理解できる脚本となっていた。
映画から汲み取れる、確定的な事項だけを洗いだしてみよう。
・草むらは迷宮、草むら内での小規模な「ワープ」が頻繁に行われる。 ・「死体」は移動しない。 ・岩に触れると草むらの地図やワープ位置がわかる。 ・岩に触れると草むらの神?に洗脳される。 ・死ぬと、後の世界線の自分が入ってくる。 ・「肩車」などの草むらより高い目線を確保していれば、ワープはしない。
一見、皆目見当もつかない脚本であるが、ベッキーが岩の地下に引きずり込まれそうになっていたことから、ベッキーのお腹の子供を「生贄」として、欲していた目的があったことはわかる。
これは核となる岩、基、草むら全体の「養分」となる存在であったのでは?と考えている。
映画の最初では、ベッキー自身が子供を養子に出すことを考えており、トラヴィス自身も堕胎(だたい)を望んでいたことから、この岩を中心とする草むらからの「天罰」のようにも感じ取れる。
物語の立役者として、サイコパスなキャラクターを演じていたロスも、岩に触れることによって「草むらの使者」と化してしまっていたが、彼自身もベッキーの胎児を生贄として捧げることに助力していることから、このことがわかるだろう。
事実、ベッキーの子供は生贄として捧げられてしまうが、別の世界線のベッキー、そして子供はしっかりと生還していたことから、ループによって訪れるベッキーと胎児を食い続けていたとも考えられる。
そして、ループから抜け出したように見えて、また新たなベッキーたちが訪れないとも限らない。
そんなベッキーたちを草むらに入らないように誘導していくことがこれからのトラヴィスの役目となるのだろうか…。
それこそ本当に「鑑賞者の想像にお任せする」終わり方となっていた。
「頭のおかしい人間」と「密室」に閉じ込められるのが一番怖い。
本映画のホラー要素とされていた迷宮は見方を変えれば「SF」にも見えてしまう中で、「本物の恐怖」として存在していた要素こそ、洗脳されたロスであった。
スティーヴン・キングの描くホラー作品には、この「人間的恐怖」を彷彿とさせるキャラクターが数多く登場する。
あの有名ホラー映画「シャイニング」も元の小説は彼の作品であるが、ジャック・ニコルソン演じる狂気のキャラクターとどこかマッチしていたキャラクターとなっていた。
そしてそんな「頭のおかしい人間」と「行動を共にすること」こそ、本映画で描かれる最大の恐怖であると言っても過言ではない。
一緒の行動せざるを得ない要因として描かれた環境設定であるが、この辺は本作の監督として腕を振るった、ヴィンチェンゾ・ナタリの功績が大きい。
彼は1997年に、B級ホラー映画界に旋風を巻き起こした「キューブ」の監督でもあるのだ。
「キューブ」と言えば知る人ぞ知る、四角い立方体で男女4人が閉じ込められ、脱出を目指すパニックスリラー作品であるが、本映画と通ずる箇所がとても多くなっている。
キューブの映画内で、だんだんと頭がおかしくなる警察官の男性が存在しているが、彼の存在こそ本映画のロスとリンクするキャラクターとなっていた。