本記事は、映画「ペット 檻の中の乙女」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
ペット 檻の中の乙女
2016年、カルロス・トレンス監督によって制作されたホラー作品。
アメリカ・スペインの合作映画。
上映時間は94分。
あらすじ
舞台はアメリカ、動物保護センターで働くセスは、殺処分されていく動物たちに心を痛めながらも、安月給の仕事を続けていた。
そんなある日、高校時代のマドンナであるホリーと出会う。
ホリーに一目惚れするセスであったが、当の本人はセスのことなど全く覚えていなかった。
なんとかホリーを射止めようと試行錯誤するが、一向に上手くいかないセス。
そんなある日、仕事場の地下に巨大な動物用の鉄籠を見つける…。
出演役者
本作の主人公セスを演じるのが「ドミニク・モナハン」
本作の主人公を演じるイギリスの俳優。
ホリーを監禁しながらも気弱な中年男性を演じる。
以外にも俳優としては有名で、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズや、洋画ドラマの「LOFT」などに出演している。
本作のもう一人の主人公ホリーを演じるのが「クセニア・ソロ」
本作のヒロインながら、役者としては有名でない人物だ。
ホリーの親友であるクレアを演じるのが「ジャネット・マッカーディ」
アメリカの女優であるが、以外にも本作品の出演役者の中では、一番有名なのは彼女だろう。
アメリカの数々の映画作品、テレビ番組に出演し、歌手としても活動している。
ネタバレ感想と考察
まさかの大逆転…!?監禁される側が覇権を握る脚本!!
映画には本作のようなプロットの拉致監禁を描いた映画がたくさんある。
そんな中でも、他の作品では観ることのできない秀逸な脚本が今作では織り込まれていた。
それは「監禁される側が覇権を握る」という現象である。
主人公のセスは、動物の死に涙を流すほどの優しい心の持ち主であり、気持ちを口にはするが、その自信無さげな風貌や気の弱さが際立つキャラクターであった。
そんな彼が拉致監禁することにはこれまで通りの「サイコパス感」溢れるキャラクターに見えただろう。
しかし物語を見進めるうちに一つの違和感に気がついていく。
それは監禁されたホリーの性格や境遇にも問題があるということ…。
セスに監禁されるまでは、美しくもか弱い女性を演じていたが、檻の中で徐々に本性を露わにしていく。
彼女はこれまでに、「一人の女性の監禁」などは足元にも及ばないほどの「大罪」を犯していたのだ…。
これまでに殺した人間は数知れず、自分を「ペット」として飼育するセスを飲み込むまでの逆転劇は、他の作品では見ることのできない展開となっていた…。
こんな「逆転現象」が起こる作品、そう多くはないが、「ザ・ハント」という一般市民のバトルロワイヤルを描いた作品でも似たような感覚を覚えるだろう…。
(こちらは強制参加させられた一人の女性が運営側を引っ掻き回す物語である…。)
結局ホリーの犯した罪って本当なの?
前述した通り、本作品ではこれまでに描かれなかった「逆転現象」が起こる。
それは監禁されていたホリーが、逆に監禁の覇権を握ることである。
それほどまでセスを恐怖させたホリーであるが、檻の中で数々の幻覚?のようなものを見る描写がある。
その多くはルームメイトである「クレア」とのやり取りで、セス目線ではこれを「独り言」と揶揄しているシーンもあった。
事実、ホリーはルームメイトであったクレアを交通事故に見せかけ殺害し、それ以外にも残虐な殺人を数多く犯していた。
映画ではホリーの歩んできた境遇については、「フラッシュバック」のような形で描かれ、鑑賞者にはわかりずらいようなシーンにも見えただろう…。
まさにサイコパスが「本物のサイコパス」に食われる脚本であるが、もちろんこのホリーの犯行は全てが「本物」であり、部屋でクレアと談笑したり、お酒を酌み交わすシーンこそが幻覚であったことがセスの発言からも明らかになる。
二人の奇妙な関係性。
今回の物語の最大の核と言ってもいい要素がある。
それは「二人の奇妙な関係性」である。
むしろ、「この関係性を描く映画である」と言っても過言ではないくらいに重要なテーマとなっていた。
最初は気弱なセスが「飼う側」、そしてホリーが「飼われる側」であったが、衝撃なことに物語のラストではこれが逆転してしまっていた。
この二人の数奇な関係性が主となる物語であるが、これが見事に作品を際立たせていた。
作中では監禁したあともホリーを「犯す」ことも無く、水と食料を与え続けていたセスであるが、彼がホリーに求めたものは「信用」と「愛」だけであった。
一方でホリー、最初は檻からの脱出を目論む姿も確認できたが、時を重ねるにつれて、「セスを救いたい」という考えにシフトしていく。
ラストの逆転現象だけを見てしまえば、「救い」よりも「復讐」としても考えることができるが、この「セスを救いたい」の真意とはなんだったのだろうか?
「SMプレイ」こそが…セスの救い??
物語の中盤、施設の警備員である黒人にホリーの監禁がバレてしまい、檻からホリーを脱出させようとするシーンでも、何故か「黒人の殺害」をセスに命じている。
セスは「人を殺す重圧」には耐えられないと見抜いていたホリーの姿が印象的ではあるが、何よりもこの時点でのホリーの思惑が「セスを救いたい」にシフトしていたことは明白だろう。
この「救い」の真相について筆者は、本当にセスが求めた「愛の形」にあると思っている。
この「愛の形」、映画の登場人物の関係性で簡単に言ってしまえば「SM」のそれに近いものとなっていたのだ。
最初はセスがS、ホリーがMのような形の関係性ができるかと思っていたが、その段階で「キャラクター性」を踏まえると完全に逆であることはよくわかる。
そして物語のラスト、かつてのセスを逆にペットとして飼育しているホリーであるが、「収まる形に収まった」と誰もが感じてしまうラストだったのだ。
ホリーのために殺人を犯し、指を無くし、挙句の果てには顔もズタボロで、視力も失っていたような「ペット」となるセスであるが、実はこれが「本当にセスが求めていたもの」という考えもできなくはない。
世の中には「お金払って女性にシバかれるサービス」も存在しているのが何よりの証拠だろう…。
こんな数奇な関係性、二人にとってはこれこそが本当の「愛」の形なのかもしれない。
皆さんも好きな人を檻に入れてみては…?