本記事は、映画「ユージュアル・サスペクツ」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
「ユージュアル・サスペクツ」
1995年、ブライアン・シンガー監督によって作られた作品。
5人の犯罪者が大きなヤマに挑むクライムサスペンス映画。
上映時間は106分。
あらすじ
舞台はアメリカ、とある警察署の一室。
半身麻痺を患う詐欺師キントは、以前に起きた「船舶炎上事件」に居合わせたことで、刑事に尋問を受ける。
キントは、自分を含めた5人の犯罪者が集まりその事件起きたこと、そしてそこに至るまでの経緯を語り始める…。
出演役者
本作のメインキャラクター、キートンを演じるのが「ガブリエル・バーン」
物語の語り手となる詐欺師、キントを演じるのが「ケヴィン・スペイシー」
配信コンテンツ
「ユージュアル・サスペクツ」は今現在、Amazonプライム、Netflix、U-NEXT、Hulu、等で配信されている。
ネタバレ感想と考察
時代は過ぎても、期待を裏切らない「大どんでん返し」
今回感想を述べる「ユージュアル・サスペクツ」であるが、公開されたのは1995年であるが、恥ずかしいことに実は筆者自身が2023年にしての初鑑賞となった。
自分を含めて初めて鑑賞した人の中には、「大どんでん返し」を謳ったトリッキーなサスペンス映画というジャンルでありながら、30年以上も前の映画であることに少し抵抗を受ける人も居ることだろう。
2023年の今現在では「予想できないオチ」は、ある意味での「普通」となってしまい、飽き飽きとしてしまっている人も多いと思う。
そんな映画のオチに目が肥えてしまった鑑賞者でも、その予想を上回る「オチ」が用意されているのが本作のすごいところだ。
冒頭の爆破シーン、そして少々難関な過去を振り返る物語の構成、そこから繰り出される圧巻のオチ。
サスペンスの名作であり、そんなサスペンスマニアと正面から勝負できる脚本力は、30年経った今でも健在だった。
昨今のサスペンス映画ではこんな大掛かりなオチの映画が増えているが、中でもレオナルド・ディカプリオが主演を演じた2010年の「シャッター・アイランド」などは、本作が好きな人には刺さるだろう。
難解すぎる内容…脳死では観れない構成!?
昨今のクライムサスペンス作品の頂点に君臨する本作「ユージュアル・サスペクツ」ではあるが、もちろん欠点も存在する。
それは「難解すぎる…」という物語の構成だろう。
本作は冒頭「船の炎上シーン」から始まり、そこからキートンの仕事仲間である詐欺師の「キント」の語りによって映画の導入となる。
そしてその途中では、時折「現在進行形」である取り調べ室での尋問シーンへと戻ったり…また過去を語り始めたり…と忙しい場面切り替えがある。
見始めて最初の方では、「これは現在?過去?」と迷う人も居たことだろう。
90年代の「頭を使う映画」の代表格であり、「2回目がもっと楽しめる」作品ではあるが、反面その脚本構成のわかりづらさに諦めそうになってしまった人もいるのではないだろうか?
また、本作のような「クライムサスペンス」のジャンルでは、難解な設定よりも「アクション要素」か強い影響があるが、本作に限ってはアクション要素よりもトリッキーな脚本構成に大きな比重がかかっている。
パリッとする目が覚めるシーンよりは終始頭を使うような作品なので、肌が合わない人も居るだろうと思う。
本作品の大オチとなるのが、なんとビックリ、「物語の語り手だったキントこそが『カイザー・ソゼ』だった!?」というオチ。
なぜこのオチがここまでに秀逸などんでん返しとなっていたのか?
最大の理由は2つ、物語のラスト付近にあると考えている。
1つ目は「2度どんでん返しがある」ということだ。
事件の内容を最後まで語り終えたキントに対して、刑事は「キートンがカイザー・ソゼだった!」と名言するシーンがある。
これに対してキントはどこか肯定的な態度を見せる。
この一連のやり取りで、大オチが「キートンが犯人」という流れを作り、そこから最後にまたどんでん返しがある…という「二重オチ」になっていたことが衝撃だった。
そして2つ目、それは「キントがカイザー・ソゼだった!」と名言されずに物語が終わるところだろう。
物語を最後まで見ると、半身麻痺しているはずのキントの歩き方が徐々に普通に戻るところや、車に乗り込むと運転席にソゼの側近である弁護士「コバヤシ」が乗り合わせていることからキントがソゼであったことは一目瞭然となる。
しかし、誰の口からもソゼの正体は一切語られないまま、物語は終わりを迎える。
この粋すぎる演出が、より一層本作のミステリアス感を引き立てる要因となっていた。
ちょっと足りない…?伏線回収について。
このような「大どんでん返し」系の映画に付き物となるのが「伏線回収」の要因だろう。
昨今のミステリーサスペンス作品では、最早必要不可欠な要素と言ってもいい。
本作でもそんな伏線が張られてはいるが、これだけの「大オチ」にしては、あまり伏線回収に力が入っていなかったようにも感じてしまった。
本作の伏線回収と言えば…
物語の途中途中で語られる、キントの口からの「出来事」が全てでっち上げであり、取調室の中から抜き取られた単語や名詞がそのまま使われていたことだろう。
あまりにわかりずらい伏線なので、「言われてみれば…」と思った人も少ないように思う。
そして、「キートン」の「キント」のどちらもが「カイザー・ソゼ」として成り立つキャラクターであったことも驚きの抑制として働いてしまっている。
いや…言ってしまえば「キントがカイザー・ソゼ」という方程式が成り立つのであれば、登場人物の誰が「カイザー・ソゼ」であってもおかしくはない…という考えさえ浮かんでしまう。
もう少し「キントがソゼである」という確固たる証明があれば…伏線回収における「アハ体験」ができたかもしれない…。
しかし…そんなことをしてしまえば、物語の途中でキントが犯人と予想できてしまうキレ者も数多く出てくるだろうか…?
サスペンス映画って難しい…。