映画「時計じかけのオレンジ」のネタバレ感想と考察

本記事は、映画「時計じかけのオレンジ」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。

鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。

時計じかけのオレンジ

 

1971年スタンリー・キューブリック監督により制作された映画。

上映時間は137分。

原作は1962年の同名小説で、アンソニー・バージェスにより作られた。

本作、映画「シャイニング」の監督でもある、奇才スタンリー・キューブリック監督の影響もあり、かなり猟奇的な映画となっている。

ちなみにアメリカでは「R指定」を超える「X指定」(16歳未満視聴禁止)という、札付きの作品となる。

主人公のアレックス演じるは「マルコム・マクダウェル」

あらすじ

舞台は1970年代当時から見る「近未来」のロンドン。

「ドルーグ」という少年4人の犯罪集団がいた。

不良チームドルーグは毎晩、とあるミルクバーに赴いては「ドラッグ入りミルク」を飲み、

ホームレスや一般人に暴行を加えて回り家に押し入り、女性であれば「強姦」し好き放題の日常を送っていた。

今作はそんなリーダー「アレックス」の更生の物語である。

配信コンテンツ

そんな「時計じかけのオレンジ」は今現在、Amazonプライム、U-NEXT、等で視聴できる。

ネタバレあらすじ

ネタバレあらすじを読む
不良集団「ドルーグ」のリーダーであるアレックスは、いつものように仲間たちとミルクバーで「ドラッグ入りミルク」を飲んでいた。

街に出た彼らは、ホームレスをリンチする。

街の廃墟で他の不良グループが少女を強姦しようとしていたが、見計らったように突入し、不良たちをリンチする。

パトカーのサイレンが聞こえ廃墟から逃亡し、興奮冷めやらぬ彼らはとある作家の家に押し入り、作家の妻を強姦する。

翌日、学校をサボったアレックスは、レコード店で二人の女の子をナンパし、自宅に連れ込みセックスする。

その後、アレックスとドルーグのメンバー内で悶着が起きるが、その場は収まる。

その晩に、いつも通り悪さを働こうと、金持ちの家に押し入る。

歌って踊りながら老夫婦を撲殺し、警察が来たが、昼間の悶着が原因となり、仲間に裏切られ、アレックスのみ逮捕されてしまう。

懲役14年を課せられたアレックスは、収監されて2年が経とうとしていた。

2年間、模範囚を装っていたアレックスはある日、内務大臣にキリスト教への信仰心とクラシック音楽の趣味を見出され、「ルドヴィコ療法」という療法の被験者となることを条件に、刑期が短くなる契約を持ちかけられる。

アレックスはこれを快諾し、ルドヴィコ療法を受けることとなる。

「ルドヴィコ療法」
被験者に投薬を行ったうえで拘束服を着せ、椅子に縛り付ける。
大きなスクリーンに残虐な映像を流し続け、
目を閉じないようにクリップで瞼を固定し、目薬を差し続ける。
被験者は投薬によって引き起こされる吐き気や嫌悪感と鑑賞中の暴力的映像により、
この行為が関連を持ち、暴力を働こうとするだけで吐き気や嫌悪感を感じるようになる。

まんまとアレックスの「治療」は成功し、暴力を働こうとするだけで、吐き気や嫌悪感を感じるようになってしまう。

そして、当時の残虐映像の後ろで流れたいた音楽、これが皮肉にもアレックスが敬愛していたベートーヴェンの「第九」であったために、「第九」を聴くだけで吐き気に襲われる体になってしまう。

出所前のデモンストレーションで裸の女性を前にしても一切手を出さなかったアレックスは、治療の成功を知らしめ、無事に出所する。

久しぶりに家に帰るが、そこには「アレックスによく似た風貌の男」と、それを匿う両親の姿があった。

居場所がなくなり、途方に暮れていたアレックスは、金銭を求めるホームレスに感情移入し小銭を与えようとするが、小銭を渡そうとしたホームレスは、かつてリンチしたホームレスだった。

大声を上げたホームレスの周りに仲間のホームレスが集まり、リンチを食らうアレックス。

騒ぎを止めに来た2人の警官のおかげで事なきを得るが、その正体は警官に就職した、かつてアレックスを裏切った仲間たちだった。

彼らはアレックスを人気のない場所に連れ出すと、アレックスに容赦のない暴力を浴びせる。

悲惨な姿で雨の中を彷徨いたどり着いた家は、かつて襲撃した作家の家だった。

作家は当時の襲撃により車いす生活、妻は肺炎で亡くなっていたが、肺炎の原因は当時の強姦にあると信じ込んでいた。

作家はアレックスが受けたルドヴィコ療法を新聞報道により知っていたが、当時の襲撃はマスクを被っていたため、アレックスが犯人だとは気が付いていなかった。

「ルドヴィコ療法」に否定的な意見を持つ作家は、アレックスを快く迎え入れ風呂に入れるが、浴槽で「雨に歌えば」を歌うアレックスの声を聞き、当時の襲撃時も「雨に歌えば」を歌っていたことを思い出し、襲撃の犯人であることを確信し、怒りがこみあげてくる。

風呂から上がったアレックスに気が付かれないように振舞う作家は、アレックスから、「第九」を聴くと吐き気がすることを聞き出し、ワインに仕込んだ睡眠薬でアレックスを眠らせる。

次の朝、目覚めたアレックスは密室に閉じ込められていた。

目の前には大きなスピーカーがあり、爆音で「第九」が流れてくる。

苦痛に耐えかねたアレックスは自殺しようと窓から飛び降りるが、死ぬことはできなかった。

翌朝、目が覚めるとギプスと包帯姿で病院のベッドに横たわっていた。体の回復に合わせて精神科医が、精神病のテストを始めるが、もはや受け答えに性行為や暴力行為への抵抗はなくなっていた。

そんなある日、ルドヴィコ療法をアレックスに決めた内務大臣が部屋を訪れ、治療が原因の自殺未遂事件で下がった政府の支持率を回復するため、世間に対して、ルドヴィコ療法から完治したデモンストレーションをして欲しい、と、言葉を濁しながら頼まれ、アレックスこれを快諾する。

それと同時に、待機していた大きなスピーカーと大勢のカメラマンが部屋に雪崩れ込み、固い握手を交わす両人の撮影を始める。

大音量で鳴り響く「第九」の中、アレックスはセックスを思いながら笑う。

その眼は当時の悪に満ち溢れた眼に戻っていた。

ネタバレ感想と考察

「過激な作風が起こした社会問題」

この作品、ストーリーの内容、世界観、セリフ、動き、どれひとつを取ってもかなりぶっ飛んだ作品である。

トーリー内容は前述した通りの内容であるにも関わらず大ヒットし、アメリカでは当時の「暴力的表現の規制緩和に一定の役割を果たした作品」としても名高い。

反面、やはり「暴力を誘発する作品」としての影響もあるようで、アメリカの州知事暗殺未遂や、イギリスでの14歳の少年の同級生殺害事件などに、「時計じかけのオレンジ」の影響があるとの発言があり、キューブリック自身の手より、一度映画公開が中止されるほどの影響があった。




「時代に反逆する作品センス」

そこまで言われる今作ではあるが、暴行や強姦などのシーンは不気味なほどコミカルに描かれている。

アレックスをはじめとするドルーグのメンバーは歌って踊りながら犯罪行為を行い、そこに個性的すぎる「近未来」な世界観やファッション、音楽が合わさる。

コミカルに街を染めていくグローグ達、してアレックスの結末、いつの間にかキューブリックの世界に引き込まれ、

猟奇的な感覚や理性が麻痺してくるような感覚に陥るだろう。

「狂気」こそが今作の最大の魅力だった。

今作の作品、アメリカでは「R指定」を超える「X指定」(16歳未満視聴禁止)という制約が課せられるほどの作品であるが、その原因となるのは「狂気」だった。

実際に鑑賞した人物が犯罪を犯したケースも出てくるほどの作風の中、なぜそれほどまでに「狂気」を感じさせたのか?

その答えの一つとして、暴力シーンの描かれ方に一つの要因があると感じた。

今作の強姦、及び暴力シーンでの役者の演技は、観ているこちらが気持ちいいくらいに、とても楽しそうに暴力の演技をしているのだ。

オーケストラが流れる中、歌って踊りながら、犯罪行為に及ぶシーン、まるで作中の彼らに手招きされているような感覚さえ感じる。

そんな自分の中の「理性」と戦わせるような演出は、影響を受けてしまう人が居るのも否めない演出である。

数年前、「グランドセフトオート」という自由に犯罪を犯せるゲームが流行った際、現実とゲームの境界線がわからなくなってしまった人が犯罪に及ぶ事件が起きた。

それと似たような現象が今作でも起こり、「狂気」であると同時に「魅力」でもあり、そんな魅力こそが今作のリピーターを引き寄せた要因であるだろう。

勧善懲悪の逆が描かれる、恐ろしい構成の仕掛け

今作の映画、主人公の印象の逆転現象人気の要因の一つとしてあると感じた。

今作の主人公アレックス、物語の最初では「完全悪」として描かれているのがわかるだろう。

視聴者の中にアレックスの味方をするものは誰一人いなく、完全にアレックスは孤立している存在である。

しかし、「療法」を受けるあたりから、自分の中のそのイメージが覆り始めていることにとても驚いた。

最初は「悪」、そして「自業自得」最後には「同情」という感情までに引き込まれ、約2時間でここまで感情を変化させられる映画は観たことが無かったのだ。

事実、アレックスに対する仕打ちに同情を感じた視聴者も少なくは無いだろう。

過去の犯罪行為のシーンのインパクトも大きいが、それと同じくらいに「療法」のシーンのインパクトもすごい。

最後に不敵な笑みを浮かべるアレックスに対し、怒りや嫌悪感が薄まっているのは、この「療法」のシーンや、警官からのリンチそして大音量の「第九」などのシーンのインパクトが、序盤の犯罪のシーンのインパクトに並んでしまっている何よりの証拠であるだろう。

この「主人公のイメージ逆転」の仕組みは、数ある映画の中でも限られた演出であり、中でも、ラース・フォン・トリアー監督「ドッグヴィル」で描かれたような現象であると感じた。

「ドッグヴィル」のネタバレ感想と考察【ダンサーインザダークの監督が送る狂気の監禁物語】

大きく感情が揺さぶられたにも関わらず、誰も気が付かないようなこの演出こそが、今作の評価につながる大きな要因の一つであると言えるだろう。

小説版「時計じかけのオレンジ」も名作と名高く、映画とは違う結末になることにも違う面白さを見いだせる作品だろう。