本記事は、映画「レクイエム・フォー・ドリーム」のネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、注意して読み進めてください。
レクイエム・フォー・ドリーム
2000年、ダーレン・アロノフスキー監督によって制作されたアメリカ映画。
原作となる小説があり、それはヒューバート・セルビー・ジュニアが手掛けた「夢へのレクイエム」である。
日常生活を送っていた人々が、ある日ドラッグに手を染め、墜落の一途を辿る物語。
上映時間は102分。
あらすじ
舞台はアメリカ、ニューヨーク、ブルックリン。
団地の一室に住む、母子家庭があった。
母親の「サラ」と、息子の「ハリー」、サラは何よりテレビが大好き、「テレビ中毒者」の一人として、生活していた。
一方、息子のハリーはあまり家には居なく、友達の「タイロン」、恋人の「マリオン」などの仲間に囲まれ、ヘロインを楽しむ生活を送っていた。そしてじわじわと、
「薬物中毒者」としての一歩を歩むこととなる。
出演役者
今作の主人公「ハリー」を演じるのが、「ジャレッド・レト」
私生活も荒れた生活を送ることで有名な俳優で、破天荒ながらも実力は折り紙つきの俳優。
「ブレードランナー」等の作品で有名である。
ちなみに自身もドラッグ中毒者である。
ハリーの母である「サラ」を演じるのが「エレン・バースティン」
アカデミー賞やゴールデングローブ賞へのノミネート経験もあるブロードウェイ出身の大女優である。
「エクソシスト」などのホラー作品から、「インターステラー」などのSF作品まで、幅の広い役を演じる女優である。
ハリーの友達の黒人男性「タイロン」を演じるのが「マーロン・ウェイアンズ」
俳優業以外でもプロデューサーや映画監督としても名を馳せる俳優である。
映画のジャンルとしては、アクション作品やコメディ作品への出演が目立つる。
ハリーの恋人「マリオン」を演じる「ジェニファー・コネリー」
スタンフォード大学出身の「教養」と「美」の
両方を兼ね備えた、実力派女優である。
本作「レクイエム・フォー・ドリーム」での演技が評価され、
大女優への階段の先駆けとなった。
ネタバレあらすじ
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- 舞台はアメリカ、ニューヨーク、ブルックリン。
団地の一室に住む、母子家庭があった。
母親の「サラ」と、息子の「ハリー」、サラは何よりテレビが大好き、「テレビ中毒者」の一人として、生活していた。
一方息子のハリーはあまり家には居なく、友達の「タイロン」、恋人の「マリオン」などの仲間に囲まれ、ヘロインを楽しむ生活を送っていた。
母に対し、冷たく接するハリーは、今日もサラの制止を振り切り、家のテレビを持ち出し、売りさばき、小銭で「クスリ」を買う。
そんな息子の生活に不安を感じながらも、気の弱いサラはそれを受け入れてしまっていた。
そんなある日、サラの元に一本の電話がかかってくる。
それは「テレビ出演」の依頼の電話であった。
飛び上がるほどにこれを喜んだサラは、出演のために「ダイエット」を決意する。「肉」や「砂糖」を抜いたダイエットを開始するのだった。
一方のハリーは、ヘロインに染まりながらも、マリオンやタイロンと仲良く遊んでいたが、ヘロイン調達のための資金が無くなりつつあった。
ハリー達は「ヤクの売人」として働き、お金を調達することを決める。
ハリーとタイロンはすぐこれに着手するが、仕事は大成功し、大金を得ることができたのだった。
そのころサラは、今まで食べ続けていた「肉」や「砂糖」を食べない、苦しい生活を送っていた。そんな苦しさの最中、「すぐに痩せれる病院」のウワサを聞きつけ、サラは病院を訪れる。医者は迷うことなく、「錠剤投与」を開始するのだった。
サラが錠剤を飲み始めると、すぐに効果が出てきた。
気分がよくなり、今まで食べたくてしょうがなかった食べ物に対する食欲がみるみる無くなっていった。
これに味を占めたサラは病院に通い続け、毎日錠剤を飲むのだった。
ある日「仕事」で大成功したハリーが、久々に家に帰ってくる。
今までの償いとして、母に新しいテレビをプレゼントするためであった。
これに大喜びするサラであったが、あまりのテンションの高さに不安を覚えるハリー、サラの話をよくよく聞くと、「違法薬物」を投与されていることは明らかだった。
「クスリをやめたほうがいい」とハリーは懇願するが、自身も中毒者である罪悪感と母のテンションに気おされ、止めることができなかった。
悲しい気持ちで家を後にするハリーだったが、その気分もヘロインで紛らわすのだった。
サラはその後、クスリの効力が弱まったと感じ、一日に飲むクスリの量を増やす。
室内にいるだけにも関わらず、数々の「幻覚」を見るようになるのだった。
一方ハリー達はブルックリンの町からヘロインが消えつつあることを感じ、次なる手を模索していた。
色々な闇の商売に手を染めるも、どれもヘロインを手に入れることができず、次第にイライラは募っていった。
ハリーの恋人であるマリオンは、ヘロインを買うお金を手に入れるために「身体」を売ってお金を稼ぐようになる。
ハリーとタイロンは、大量のヘロインが売り出されると聞きつけるが、売買の最中に起こったテロによってこれは破談し、フロリダにヘロインの調達に行くことを決意する。
サラは家の中で、テレビの中の人物全てに笑われ、冷蔵庫に食べられる幻覚を見る。
家を飛び出し、テレビ局へ赴き「テレビ出演」のことを訴えるが、それがいたずら電話であることを知るが、受け入れず、警察に捕まるのだった。
サラは「精神病棟」に入れられ、数々の「治療法」を試すこととなる。しかし、そのどれもが効くことはなく、ついには「電気ショック治療法」を試すことになるのだった。
ブルックリンに残されたマリオンは、ヘロインが無い生活が我慢できずに、「セックス依存症」の金持ちと寝るようになる。
その行為はどんどんエスカレートし、ついには「変態パーティ」に招待されるのだった。
フロリダに飛び立ったハリーとタイロンは、無事にヘロインを入手するも、ハリーは帰る途中、強烈な腕の痛みを訴える。
腕は注射をした場所が真っ青に腫れ上がり、悶絶するほどの痛みだった。これを危惧したタイロンは病院にハリーを連れていく。
ハリーは病院にて腕を切断される。
タイロンは病院にて逮捕されてしまう。
マリオンは変態パーティで金者たちの見世物となる。
サラは精神病棟で痩せ細った姿となっていた。
それぞれが眠りにつく中、サラはハリーとテレビで共演する夢を見る。
ネタバレ考察
薬物中毒者の墜落を描く、トップオブ鬱映画
Googleの検索欄などに「鬱映画」というワードを打ち込み、検索をかけると、まず間違いなく、今作の「レクイエム・フォー・ドリーム」という作品が出てくるだろう。
今作の内容は、その名に恥じないほどに強烈なストーリー内容、そして演出が駆使された、トップオブ鬱映画と言える。
映画を描くにあたって、取り上げたテーマ、そしてその脚本のリアルさ、各役者人の演技力、そのどれもが鬱を感じさせる要因として機能した作品となった。
「鬱」な物語が好きなのであれば、必見と言える映画だろう。
薬物中毒者のリアルに迫る演出
今作の映画では、ヘロインなどの薬物を吸引するシーンなど、その全てで「ジャンプカット」と呼ばれる撮影技法が多用されている。
映像をつなぎ合わせ、飛ばし飛ばしのカットをいくつも繋ぎ生々しい「効果音」もこれに練り込まれるが、この効果音も鑑賞しながらよく聞いていると、左右のスピーカーから交互に流れていることがわかるだろう。
今作の四人の登場人物、それぞれにこの描写があり、画面を分割し、二人同時に演出されるシーンもあれば、一人に焦点を当てて何回も繰り返すシーンもある。
今作の「衝撃」の要因は、映画の脚本にももちろんあるが、大きなもう一つの要因として、この演出が関係している。
今作の登場人物が薬物を使用する度に、このシーンが再生され、「何度も何度も繰り返すこと」によって、墜落している描写が描かれる。
今作の「じわじわ感」の要因は、このシーンにより演出され、この「じわじわ感」こそが、今作を鬱作品のトップに立たせる要因となっただろう。
本当の恐怖はゆっくりと描かれる
今作を鑑賞してまず衝撃に感じたこと、それは「すでにヘロインに手を染めている」ことであった。
家のテレビを持ち出すほどに中毒症状が現れ、完全に墜落が始まっている姿が描かれているが、「まだ助かる」と、鑑賞者に思わせることが非常に上手な作品に感じたのだ。
そんなハラハラを抱えながらも着々と「墜落」は進んでいき、最後は完全に薬物に染まり切ってしまう。
そんなじわじわと進む演出こそが今作の一番の見どころであり、「鬱映画」を感じさせる一番の要因となっただろう。
不安の正体は「狂気」と「一般人」
薬物が題材となる映画と聞いて、どう描かれるのだろうか?という疑問がまず頭に浮かんでいたが、そんな期待を持ち、今作を鑑賞してみると、その描かれ方がとても腑に落ちる作品となっていたのだ。
不安な空気を纏いながらも、今作で描かれた「幻覚」のシーンでは、非常に「狂気」に満ちている描かれ方となっていた。
今作で描かれる「狂気」とは、いわゆるサイケデリックな描写として鑑賞者たちの心までも動かす。
観ている方が「自分の心は正常なのか」確かめたくなるような描写が多く「狂気を観せる」という点においては、今作はかなりのクオリティの映画となっただろう。
ジャンルとしては、「トレインスポッティング」と似たような「狂気」の描かれ方がされているが、今作にはトレインスポッティングのような「スピード感」が感じられず、「明るさ」もあまり感じられない。
映画のキャラクターも決して「陽気」に描かれず、飛びぬけて「ワル」なキャラクターもいない。
あくまでも「一般人」が対象とされていることにも、今作で感じる不安の要因があり、その仕草や、行動の一つ一つが刺さってくる作品だった。
また、ヒロインのマリオンが浴槽でうずくまる描写があるが、これは日本のアニメ映画「パーフェクトブルー」のオマージュシーンである。