本記事は、映画「テイクシェルター」の
ネタバレを含んだ、感想と考察記事です。
鑑賞したことが無い方は、
注意して読み進めてください。
テイクシェルター
2011年、ジェフ・ニコルズ監督によって制作されたサスペンス作品。
巨大な嵐を危惧した男が、
シェルターを作り始める物語。
上映時間は120分。
あらすじ
舞台はアメリカ、オハイオ州、
田園風景が広がる地域には
一軒家を持ち幸せに暮らす、
ラフォーシュ一家が住んでいた。
大黒柱のカーティス、
妻であるサマンサ、
耳が聞こえない一人娘ナットの3人は
仲睦まじく暮らすのだった。
そんなある日カーティスは、
巨大ないくつもの竜巻と、
エンジンオイルのような
茶色い雨が降るのを目撃する。
何か嫌な予感を察知したカーティスは、
家族のために「シェルター」を作ることを
決意するのだった…。
出演役者
本作の主人公カーティスを演じるのは、
「マイケル・シャノン」
アメリカの中年俳優で、
ヒューマンドラマやサスペンス、
恋愛映画など、
数々の作品に出演する俳優である。
妻のサマンサを演じるのが
「ジェシカ・チャステイン」
アメリカを代表すると言ってもいい
女優の一人であり、
「インターステラー」や
「X-MEN」シリーズなど、
数々の有名映画にも出演している。
カーティスの友人である
デュアートを演じるのが
「シェー・ウィガム」
こちらも数々の有名作品に出演する俳優で、
「ジョーカー」や「ワイルドスピード」、
「ミッションインポッシブル」などの
アクション映画への出演も多い。
そしてカーティスとサマンサの
一人娘であるナットを演じる、
「ケイティ・ミクソン」
とにかくかわいい。
何故白人の女の子は
こんなにも天使のようなのだろう…。
ネタバレ感想と考察
災害映画と思いきや…サイコスリラーのような作風。
巨大な竜巻が街を襲うような
描写が多いせいか、
本作品を「災害映画」だと思った鑑賞者も
少なくはないだろう。
事実、アメリカの抱える
大きな自然災害の一つである
「竜巻」が映画の大きな
一つのテーマとしても機能している。
しかしフタを開けてみると、
そんな困難を乗り越える、
アクション映画さながらの
ダイナミックな描写は無く、
まるでサイコサスペンス作品を観ているような
陰鬱な音楽と描写が展開するのが、
本作の面白いところである。
そう、話のメインテーマは災害ではなく、
カーティスの精神病である。
災害に備える映画からの
じわりじわりとサイコ作品へと変化していく
脚本構成がとても秀逸な効果を
生み出していた作品だった。
ラストシーンは夢?それとも現実?
映画を最後まで見てみると、
一つだけ疑問なことが残る描写で
映画は幕を閉じることとなる。
それは、
最後の嵐は妄想なのか?現実なのか?
ということであるが、
ここが本作の
一番面白い要素ともなっている。
結論から言うと、
この嵐は「現実世界で起きている」線が
濃厚だろう。
まず初めに、
映画の流れのパターンから見て、
これは「現実」で起きている嵐だと
推測できる。
これの前のシーン、
核シェルターに閉じこもり、
嵐に対して絶対的な恐怖を感じ、
その恐怖を克服するに至った
カーティスの行動から見ても、
これが妄想の嵐であることは
考えずらいということ。
そして、
サマンサを振り返るカーティスの視線、
この段階でもカーティスはまだ、
「自分の妄想」であること
懸念した表情であるが、
サマンサ当人もこの嵐を見て、
呆気に取られている顔を見ても
この嵐が現実世界で起きているものと
考えられるだろう。
更に、サマンサの手に降り注ぐ
エンジンオイルのような雨。
このシーンでも、
現実の出来事であることを物語っている。
またまた更には、
一人娘であるナットさえも
この嵐に気がついているのだ…。
それでも可能性のひとつとして、
カーティス、サマンサ、ナットの三人が
妄想を見ている可能性もゼロではないのだが…。
ラストシーンの裏切り方がこれまでには見たことが無いくらいに斬新。
「災害映画」から「サスペンス映画」へと
変貌を遂げるだけでも
十分に面白い構成ではあるが、
そこからラストシーンで
一気に「災害映画」へと引き戻す
展開には本当に驚いた。
これまで「精神病」による
妄想だと思われていた現象が、
一気に全て肯定され、
カーティスの立場が正義となる逆転劇は、
他の作品では見たことの無い
逆転現象だった。
シリアスな映画に見えつつも、
ここまでにぶっ飛んだ構成であれば、
「ギャグ映画」と言っても
違和感を感じないほどの威力を持った
ラストシーンである。
B級映画にありがちな、
これまでの厚生をぶっ壊すラストシーン、
ここでエンドロールに
メタルバンドの楽曲でも流れてしまえば、
確実にそれそのものだっただろう…。
カーティス役、マイケル・シャノンの演技がスゴすぎる!!
本作の主人公を務めたカーティス役の
マイケル・シャノン。
カーティスのキャラクター性として、
温厚でありながらも、
どことなく神経質な彼の性格と、
独特なオーラを見事に演じきったのは
マイケルが実力派俳優であることの
十分すぎる証明となっている。
家族には優しく、
妄想に苦しみながらもそれと戦う姿は
まさに本物の患者であるかのような
演技となった。
このマイケルシャノン、
他にも数々のサスペンス映画に出演していて、
中でも「ユージュアルネイバー」での
演技は圧巻である。
カーティスの抱える妄想癖について
作中、彼の抱える病気として描かれたのが
「精神病」であった。
これは、病院でのシーンであったり、
カーティスの母親が抱える
病気の遺伝であるような
やり取りからもわかるだろう。
今回のカーティスの症状の場合
とても複雑であり、
精神病の中でも「パニック症候群」であったり、
「妄想癖」であったり、
「強迫性障害」
(シェルターを作らなければ不安でしょうがないことから)
としても受け取ることのできる症状であった。
それでも結果から言ってしまえば
「予知夢」であり、
医学では証明できない内容の
症状であったのだが…。
ちなみに、
そんな精神病の中でも
重度の「強迫性障害」の女性を描いた
「八つ」という作品では、
より病気について生々しく描かれているので、
鑑賞してみるといいだろう。
こちらはこれらの病気について、
比にならないほどにダークな作風で描かれている。
登場人物の温かさが前面に出た作風。
この手のサイコ作品であっても、
自然災害の映画であっても、
作中にはどうしても主人公の敵となり、
壁として立ちはだかる存在のキャラクターが
登場することとなるが、
本作において、そんな存在の人物が
居なかったのも、
特殊な要素の一つだっただろう。
カーティスの妻、娘、
そして母親、兄、
友達や病院の先生などに至るまで、
彼の敵となりうる立ち位置のキャラクターが
登場しなかったのだ。
本作をサイコサスペンス作品として
鑑賞した時に、
どこか「物足りなさ」を感じてしまうのは
恐らくこれが要因であるだろう。
本映画を括れるジャンルは
一つだけではない。
サイコ映画、災害映画、
またまた家族愛をテーマとした
ヒューマンドラマとしても
鑑賞することができる。
観る角度によってテーマが変わる、
なんとも面白い作品となった。